時代を担う若者たちへ
「突然、未来が変わった」。メディアに報じられるまでもなく、昨年の東日本大震災により、日本人の多くが自らの生き方や考え方を問うこととなった。
常に変化し、時に人間に暴威を振るう自然。我々は将来どうなるか分からない世界に生きているという現実。未曾有の大災害を前に、内奥にこだまする「人生無常」。
何のために芝居をやっているのか? なぜ他の仕事ではなく演劇なのか? 大震災以来、くすぶる根源的な問いがあった。俳優を育て、作品を創ろうと格闘することで過ぎていく毎日…。果たして私のやっていることに意味があるのか…?
大震災で大きな被害を受けた陸前高田市が、共に教員であった祖父・祖母の最後の赴任地であることを、震災後、初めて知った。私のルーツ…。その昔、生活困難な時代に教員として奮闘、格闘していた祖父母。二人の教え子やその子孫がいる町が津波で流されていく痛ましい映像が、今でも脳裏に焼きついている。祖父母が生きていた時間に思いを馳せると、奇しくも大学の教員になった私に、残りの人生での使命が少しずつ見えてきた。
「無常」に失望し、あきらめるのではなく、「無常」だからこそ、より積極的に生きてこその人生。次代を担う若者たちにそれを伝えていくことが、私の仕事ではないか…。
演劇を専門とする指導を天職と心得、プロとして通用する俳優の育成に私はこれからも力を注ぐ。しかし合わせて社会に貢献する人間に育てる努力を怠ってはならない。羽鳥塾や大阪音大の多くの若者たち…。演劇を勉強し、演劇を愛することで人間として成長し、コミュニケーション能力や表現力、思いやりを武器に、たとえ将来どのような職業・仕事についたとしても、人に喜んでもらえる、信頼してもらえる人間になってもらいたい。そう強く願うようになった。
先日、かつて羽鳥塾で学び、舞台活動していた女優さんが、看護師を目指して勉強を始めた。震災をきっかけに決心し、芝居はもうやらないと言う。「アルバイト先の病院で患者さんにお話や歌を聴かせてあげると、とても喜んでもらえる。芝居をやっていて良かった」と笑顔で語っていた。その顔の何と清々しかったことか。
私はこれからも演劇の道を歩いていく。指導すること、教えることで、逆に教わっていく。技術だけでなく、俳優に必要な人間の「地固め」を生涯の仕事とし、合わせて人々に感動と喜びをもたらす作品を創っていく。
人の役にたち、社会の役にたつ。それが私の仕事。 年頭の所感であった。