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YAKUMOを終えて1

昨年11月に横浜で沢木さんとお会いして「八雲」のお話を頂いた。ご自分のライフワークと望む舞台に、まだ未知数の私を脚本と演出で起用するのだから、恐らく不安であったと思う。果たしてその英断にお応えすることができたのかどうか。それはもう少し先にならないと分からないのかもしれない。

しかし「俳優を育てること」と「作品を創ること」を二本柱で立ち上げた「シアタープロジェクト羽鳥」。その初年に「YAKUMO」の演出・脚本として参加させて頂いたのは光栄であり、幸運だった。感謝。

10月24日、「YAKUMO」が終わった。色々とご評価を頂いているが、概ね好評の感ありである。もちろん嬉しい。しかし、岩谷時子先生から褒めて頂いた時は格別だった。

22日(金)のソワレ公演。先生の突然のご来場に私は緊張した。終演後、楽屋にお越し下さり、幸運にも二人だけで30分程お話しさせていただき、身に余る光栄のお言葉を沢山頂戴した。

中でも、「私は『八雲』で育ったの。あなたの描く『八雲』は素晴らしいわ。これはお世辞じゃないのよ。あなたの小泉八雲像に共感するわ。よくここまで書いたわね。2時間の枠の中に八雲の人生をよく盛り込んだわ。久しぶりにいい舞台を観たわ。あなたはこれからもっと作品を創っていくといい。調べものがあったら私に相談しなさい」。このお言葉に私は不覚にも涙を流してしまった。

四季時代に「異国の丘」(浅利慶太氏との共著)を書いた時にもご一緒させて頂いたが、こんなに身近でお話しをして下さったのは初めてだった。

今回の「YAKUMO」。もし成功であったとしたら、スタッフ・ワークがその一因であることは間違いない。

「YAKUMO」という建物を建設するための設計図である脚本は私が書いた。それをスタッフ一人一人が読み込み、膨らませてくれた。音楽、美術、音響、照明、舞台進行。それぞれのセクションに演出家としてのプラン・イメージを伝えた。

今考えればターニング・ポイントがいくつもあった。次回からそのひとつひとつを「八雲創作秘話」として振り返ってみたい。まずは照明スタッフ。チーフは永野明子さん。彼女と私の試行錯誤の作業は初日開場5分前まで行われた。

2004年10月29日

YAKUMOを終えて2 照明

永野明子さん。この春、私の企画した「バレンタイン・コンサート」(玉川髙島屋アレーナ・ホール)で照明を担当していただいた。その真摯で積極的な姿勢とシャープな照明作りに感銘し、今回のプランをお願いした。

普段はアレーナ・ホールでの展示会や全国各地でのコンサートをメインの仕事をしてらっしゃる。だがお芝居(ミュージカル)は初めて。彼女の起用は私の賭けだった。

「YAKUMO」は照明が演出の重要な部分を担う。晩年の小泉八雲が自分の人生を回想する中で、その時々の登場人物となり、ストーリーを進めていくというスタイル。

八雲、ラフカディオ・ハーン、エリザベス・ビスランド、サラおばさん、街の人、遠縁の人等々、変幻自在に変わる役は実に30を越え、要所々々で晩年の八雲に戻る。八雲に当たる照明のことを私は「八雲スポット」と呼び、夏の間に永野さんとは3度綿密な打ち合わせを行った。

さて舞台稽古。照明器具の仕込を終え、照明卓のコンピューターにプランを打ち込む。細かく大量のプランニングだから時間がかかる。永野さんが作業を終えたのは初日の昼間、通し稽古直前。

私はこの通し稽古で初めて全般に亘って彼女の照明を見た。ストーリーに沿っていて悪くなかったが、全体が今ひとつ明るく、彫像や仮面の際立ちが弱い。加えて肝心の「八雲スポット」も印象が薄くなってしまっている。私のイメージが伝わっていないのだ。

初日の開場時刻まで残すところ2時間強。私と永野さんは時計を睨みながら幕開きのシーンから照明を作り直していった。「それはオーケー」「今のよりも前の方がいいな」、「それは無理です」「このくらいでどうですか?」等々、我々の試行錯誤が続く。

「八雲スポット」も「暗がりの中に浮かぶ電話ボックスのように」と示唆すると、彼女は即座にイメージを理解してくれ、変更がすみやかに行われた。

全ての作業が終わったのは開場時刻の5分前。間に合った。 

2004年11月12日

YAKUMOを終えて3 音楽・作曲

玉麻尚一君。売れっ子の作曲家。実に忙しい。そうした中、いとも簡単に曲を作る。

初めてお会いしたのは6月。私の脚本をその場で読み、ストーリーに流れる「通奏底音」を即座に理解してくれた。音楽用語の「通奏低音」という意味合いではなく、ストーリーにおける登場人物の心情を奏でるもの、端的に言えば、BGと考えても良いのだが、この言葉は辞書には載っていない。私が造語として使ったにすぎない。

曲も出来上がり、稽古が始まった。芝居の部分と合わせた音楽作りが行われる。小泉八雲やハーンの台詞の直前、あるいはその最中、あるいはその後。その他いたる所に私は心情がメロディーとして流れることを求めた。

「ここで何か音を頂戴」。この注文に玉麻君は即座にどのナンバーの、どの部分を持ってくるかを提示してくれる。そのシャープさは見事。

やがて一つの見解の相違が露見する。どこに音楽のクライマックスを持ってくるか。脚本の起承転結でいうところの「転」の部分。初日まで間もない時期だった。

私はM15「小泉八雲」がそれに相当すると考えていたが、彼はM17「揺るぎない決意」で作曲した。
結果、ストーリーの流れと曲想がズレた。私はM15とM17の曲想チェンジを求め、新たに2曲の作詞をし直す覚悟だったが、彼は新・M17を作曲して持ってきた。
東中野にある玉麻君のスタジオで検討を重ねる。もはや曲を入れ替えて新たに作詞をしている時間はなかった。私は主張を変更。元のM17の曲想を変えて、途中部分、3分の1をカットする。彼は即座に応じてくれた。

玉麻君は非常にミュージカルが分かっている人だ。
1人ミュージカルという特殊な形式では登場人物の心情の他に、情景描写など盛り込んだ歌詞がどうしても必要になる。1人の人生を2時間という短い時間で綴るのだから心情だけでは語れないものが出てくるのだ。
玉麻君の曲を出来るだけ生かそうと作詞の変更が続き、彼も詞に合わせメロディーを変えてくれる。「結果オーライ」。ストーリーと歌詞がつながった。

初日の幕が開くと彼は言った。「僕は脚本を読み込むだけですよ。すべては脚本から始まりますから」のさりげない返答。快男児。   

2004年11月19日

YAKUMOを終えて4 美術

彫刻家・勝野眞言(かつのまこと)氏。初めてお会いしたのは6月。仮面製作をして頂けると制作サイドからお聞きしていたが、ご本人はご自分で製作された彫像を舞台に提供すると思っていらした。この行き違いは嬉しい誤算。私はすぐに舞台空間を「八雲美術館」にするという演出プランを練った。

まず、同氏の作品写真集をお借りし、どの彫像を使わせて頂くかを検討。夏頃には、勝野さんと意見は一致していた。青山円形劇場にいらした方は覚えておいでだと思う。ロビー入口に置かれていた男性の顔の彫像がその一つである。もう一つはかなり大きいもので男性が頭を抱えている全身彫像(ロダンの考える人のよう)。

この二つで「小泉八雲」の苦悩・心情を表現しようと考えていた。その他には街の人々や生徒たちに見立てる、小ぶりでお腹が突き出た3体対(つい)の彫像。

9月1日、舞台監督の笠井君、装置・衣装担当の多田君らと共に、勝野さんのお車で彫像作品が保管されている山梨県の大月へ向かった。この日にどの彫像を舞台に飾るかの最終決定をしなくてはならない。

私は勝野さんと合意を得ていた彫像を選択肢からはずした。理由はスケジュールの変更。開幕まで当初予定されていた日数の半分に満たない稽古期間となっていたため、稽古の練り上げ如何に関わらず、観客に出来るだけ分かりやすいストーリーにするための彫像を選択する必要があった。

そうして選んだのが母親・ローザ、恋焦がれるエリザベス・ビスランド、そして妻・セツ(母子像)の3体である。ただセツの母子像は大月にはなく、写真だけで選んだ。欠かせないものと判断したからである。

勝野さんは3つの仮面も製作して下さった。しかしそのうちの一つを女性の仮面としてお作りになっていることを耳にし、慌ててお電話。男性とも女性ともとれる中世的な顔に変更させて頂いた。あらゆる登場人物として観客に見て頂くためである。

そして、いよいよ舞台稽古前日。ピアノが下手に置かれている関係でシンメトリーに3体の彫像が配置できない。位置がどうもしっくりこない。しかし、舞台空間上部に3つの仮面をシンメトリーに浮かべてみると、ピッタリと納まっている。喝采!

本物の彫像と同じ彫像家の手で製作された仮面を飾らせて頂いたおかげで、狙い通りの「八雲美術館」が舞台に出現し、重厚感溢れる作品となった。

初日が開いた日、私は勝野さんにお願いした。「次回、また僕が舞台を創る時には舞台美術家としてご協力下さい」。勝野さんは満面の笑みをたたえ、「はい、やりましょう」と快諾して下さった。

2004年12月03日

YAKUMOを終えて5 最終回

音響デザインを担当して頂いた実吉英一(さねよしえいいち)さん。スケジュールの都合で私との事前の打ち合わせはたった一度。正直言って不安だったが、お忙しいスケジュールを縫って、たまプラーザまで来て頂いた。

実吉さんは細かい書き込みがしてある台本を広げると、幕開きからの効果音プランを次々と提示して下さった。その緻密さに感銘を受けた私は「実吉さんのお好きなように」と全てをお任せした。
そして本番。全編に的を得た効果音の連続だった。一番私が気に入っていたのは終幕に近い「鹿威(ししおど)し」の音。八雲がセツに過去の想いを打ち明けていると、情緒にあふれ風情のある竹の音(ね)が響いた。打ち合わせの時に「ここに鹿威しはどうかな?」とハニカミながらおっしゃっていたことを思い出す。
他にも八雲が初めて原稿を持ち込む出版社をたちどころにタイプライターの効果音で表現して下さる等々、ややもすると難解に陥りやすい「一人ミュージカル」を観客に分りやすいものとする心強い手助けとなった。

その実吉さんの片腕である音響オペレーターが遠藤宏志君。彼は沢木さんのその日の調子に合わせた微妙な音響ワークをみせてくれた。ワイヤレスマイクを通した台詞や歌が、実に自然で過不足なく聞こえてくる。その日の俳優の調子を見ながら的確にオペレーティングできる数少ない職人である。

さて、舞台監督の笠井隆行君。早くから現場で起こるであろう問題点を前もって洗い出し、何事もなかったように解決してくれていた。おかげで私はかなりの煩雑な作業に時間を取られずに済んだ。

舞台美術の多田真由子君は4ヶ月に亘る私の注文に泣き言・文句を一切言わず、道具のスケッチを何度も書き直してくれた。二人で打ち合わせしたカフェの店内装飾も「YAKUMO」美術のヒントになった。この二人の黙々と仕事に取り組む姿勢には頭が下がった。

そしてピアノの松川裕君。テクニックはもちろん一流だが、なんと言ってもハートがある。岩谷時子先生も彼の情感溢れる演奏を絶賛されていた。しかし稽古ではピアノの弾き過ぎで腱鞘炎にかかり、本番はテーピングをしながらの演奏だった。それでもテクニック・表現とも落ちない。人あたりは柔らかだが、玄海育ちの九州男児。中身は「男っぽい」はずだ。ナイスガイに拍手。

5回に亘り「YAKUMO創作秘話」としたが、一緒にモノづくりをしてくれたスタッフの力なくして「YAKUMO」は創れなかったことを痛感している。

総合芸術である演劇の面白さと、そしてその「怖さ」を再認識させてくれた。忘れられない作品「YAKUMO」。

2004年12月10日

TBS~みずみずしき若人たち

新緑の頃だったか。「新人アナウンサーのボイストレーニングをお願いしたい」。TBSの中堅女性アナウンサーの方から突然お電話を頂いた。

「私は俳優を育てるのが仕事なので畑違いでは」と申し上げたが、数日後、同僚の方を連れられて羽鳥塾の演技レッスンを見学にいらした。

「この腹式発声を新人に教えて頂きたい」。他所の教室も見学されてのご依頼。その後、お忙しい中、二度も足を運んで頂くという真摯なご姿勢に対し、私としてはお断りする理由はなかった。

新人は女性2人。男性1人。トレーニングのテーマは「腹式発声」。彼ら自身が綴る研修日誌は「TBSアナウンサー通信 いとみずみずしき日々」でのぞくことができる。


初回のレッスンこそ手探りではあったが、結局は俳優へ課すのと全く同じトレーニングを行なった。お腹系では「拝み倒し」等によるベルトラインの膨らまし。咽頭系で「ロックのア」「ロックはずしのア」「ロング」「ノーマル」。全身系の「ジャンプ」「ジョギング」等々。

さらに「手切り」や「刻み込み」「仕分けのマイム」「イメージの支え」まで踏み込んでいった。後半は実際のニュース原稿読みや詩の朗読も行い、短期間ではあるが真に充実したレッスンだった。

3人の吸収力は水が沁み込むようで、目を見張るばかり。確実に彼らの技術は進歩していった。アナウンサーと言えば、花形職業、志望者は断然多い。相当数の難関倍率を突破しての選りすぐりメンバーである。頭脳明晰、人格円満は当たり前か。

しかし一番感心したのは「素直(すなお)」ということだった。だからこそ私の言葉が沁みていく。逆にこちらが嘘を言えば、すぐに見抜く頭脳も持っているから怖い。羽鳥塾でと同様、私も真剣だったが、彼らも自分の頭で考え、喰らいついてきた。2ヶ月があっと言う間に過ぎ・・・、私のレッスンは終わった。

8月に入り、「12日の土曜日に番組で新人を紹介します」と知らされた。3人のデビューである。その日の私はラッキーなことにオフ。テレビの前に座った。

「出た!」と思った瞬間、私自身が緊張している。もちろん彼らだって「ど緊張状態」。「あーあ、あんなバカなこと言っちゃって!(冷や汗) ナニ、ご愛嬌、ご愛嬌(苦笑)。あら、何だ、その表情?!(呆然) まっ、いいか・・・(諦観)」。

わずか数分の登場なのに、私はジェットコースターに乗った後みたいな疲労感を覚えた。3人を紹介する先輩アナウンサーが心配そうに見守っていたのも印象的だった。

今回の新人研修。テレビ局をあげて彼らを大事に育てようという暖かさが感じられ、まさに幸せ者の3人だった。
私は改めて彼らに教わった。「モノを覚えていく姿勢」。有難う、みずみずしき若人たち。

2006年09月05日

ハウステンボス

アメリカ人スタッフが書いた台本。それを日本語版台本にするのが今回私が依頼された仕事だった。

どんな状況でも顔色一つ変えず、クールに通訳をしている長身の中村弓子さん。彼女の日本語直訳を参考に、ストーリーをつなげることから始めた。当然、直訳では芝居にならないため、求められるニュアンスを汲み取り、予想される演出まで想像しながら、日本の観客に受け入れられるためにはどういう表現が適切か、台本と睨み合った。

キャラクターに合った言い回しも含め、登場人物が生き生きとしたものになるためには、当然意訳にならざるを得ない。この台本が逆直訳されてアメリカに送られれば「こんなことは書いていない」とクレームがつけられるのは必至。それはそうだ。こちらで意訳したものを英語の直訳にしたら、元の台本との違いに戸惑うはずである。これは四季時代から経験している。

日本において、上演台本の意訳でしばしば問題となるこの件について、3月初旬、初めて長崎のハウステンボス入りをした私は、今回のショウを手がけるデリック・ラサーラ氏と制作デスク担当のシンシア・ブラックストーン女史に理解を求めた。

「あなた方が追求するテーマとストーリーを、日本語で表現するために最大の努力を払い、その結果意訳になっている。しかしあなた方が求める感動のポイントは押さえてある。そのことを信じて欲しい」。

我々は日本語と英語の文法の違い、日本語の特質等々、互いの国の文化論まで含めて雑談を交わした。当たり前のことではあるが、これがなかなか難しい。言語の壁、文化の壁を乗り越えて、共に仕事をするのだ。日米のスタッフの共同作業はまずお互いの信頼関係を築くことから始めなければならなかった。

後から知ったことだが、実はこの時すでににラスベガスの彼らの会社には私の日本語版台本が届いており、日本語をネイティブに理解するアメリカ人スタッフが読んだ結果、「問題なし」の結論が出ていたのである。

3月下旬、東京のスタジオで日本人俳優による吹き替え録音を無事終え、本来ならここで私の仕事は終了するはずだったのだが…。サンデーミュージカルスクール(現・羽鳥塾ミュージカルクラス)の開講を控え、まさか長崎まで行くことになるとは思ってもみなかった。そのため羽鳥塾に休講が出てしまい、レッスン受講を検討をされていた方に大変な迷惑をおかけしてしまった。

オーディションに合格したダンサー達への演技指導、さらにはデリックが振付・演出したものを日本語台本と矛盾がないよう手直しする作業だ。

4月中旬、再びハウステンボスに向かい、東京で録音された吹き替えと現地での演出が合っているのか、ダンサー達の動きにおかしなところがないのか、限られた時間の中での手直しが始まった。彼らは他にもショウに出演しており、与えられた時間は1日40分程度。大幅な演出変更は無理である。

まずは日本語版台本と矛盾しているダンサー達の動きを直し、場面の意味を理解してもらう。台詞に即した動き、キャストの心情、それを取り巻くアンサンブルの役割を教え、シーンに意味を持たせる。

私自身の滞在もわずか10日足らず。通訳を介し、文字通り時間との戦いになった。ダンサーもスタッフも疲労困憊。しかしプレビューは目前に迫っている。休むわけには行かない。衣装や床山など次々と沸き起こる問題をどうにかクリアーし、ようやく「イースタン・オデッセイ」の幕が開いた。

スケジュールの都合で初日の前のプレビューを見て帰京したが、まさに怒涛のような日々であった。
細部に亘って進言できなかったことが多少悔やまれるが、このチームに参加できたことは私にとっても貴重な財産となった。多くの才能と出会った喜びが何よりも大きい。

2004年05月05日

USJの仲間たち

今年、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(以下、「USJ」という)で仕事をさせて頂いた。
「トト&フレンズ」、「ワンピース」、「ヴァンパイア M子の夢」、これらプレミア・ショー3本の演技指導と演出協力である。

3月下旬、「トト&フレンズ」のリハーサルに初参加。プロ野球の落合監督ではないが、「オレ流」を貫いてきた俳優さんたちが「東京からどんな奴が来るんだろう?」と顔を揃えて身構えている。


クリエイティブ・スタッフによると、オーディションで厳選された彼らは、毎日様々なアトラクションやショーに出演しているプロではあるが、内心、演技に関して「本当にこれでいいのだろうか?」と自問自答しているという。俳優は自分の演技に関して客観的になれない。やはり技術的な指針が欲しい。私がUSJに求められたものが、この「指針」を彼らに示すことだった。

稽古を見せてもらう。俳優さんたちは芝居っ気(しばいっけ)たっぷりで、思い切った演技をぶつけてくる。しかし表現しようと意欲、熱意は伝わってくるが、「何を言っているのか」、「何をしているのか」、この二つが本人たちの思っているほど「飛んで」来ない。面白いのに、実に惜しい。

基本的な技術を説明した後、すぐに演技指導開始。自分の創り上げた表現を観客に届けるには「何が必要か」を具体的に挙げていく。「今、その登場人物は何をしてる?」の問いに、彼らは「何って・・・?こんな感じかな、って思って・・・」と、しどろもどろな返事が返ってくる。

「演技は雰囲気でやるのではなく、具体的なものである」、「自分の台詞に固執するのではなく、相手が放ってくる空気に乗って行くこと(交流)」等々の指導が進むうち、俳優さんたちの目の色が変わってくる。自分に言われている時は分からなくても、他人が言われているのを見て、「なるほど・・・」と合点が行き出しているのだ。


このような調子で行われたプレミア・ショー3本の稽古で、見違えるように進化していく俳優さんを見るのは楽しく、嬉しかった。彼らは私が提示する課題に対して実に真面目に取り組んでくれた。本番ではショーの売り物である得意のアドリブも爽やかで愉快な仕上がりを見せ、観客を楽しませていた。

俳優は作品を完結に導く「ワン・ノブ・ゼム」である。登場人物の一人として、ストーリーの中で果たさなければいけない役割を演技で全うする。その仕事が果たされた時、たとえどんな役であろうと俳優は「偉大なワン・ノブ・ゼム」、「誇り高きワン・ノブ・ゼム」となる。


USJには歌が上手く、踊りも素敵で、演技も魅力的な俳優さんが多く、ミュージカルの面白さを伝えるのに充分な素質と技術を持っている。プレミア・ショーは今後も楽しみである。

当たり前のことを繰り返す。技術の習得には「愚直(ぐちょく)」に取り組み、学ばなければならない時期がある。その時に必要なのは「素直(すなお)」であることだ。USJの俳優たち、いや、仲間達は充分「愚直」で「素直」だった。

2007年12月14日

教師のためのワークショップ in 東京 前編

「全国高校生活指導研究協議会」の夏の全国大会が、8月3日から5日まで東京・港区・芝にある私立の学校を会場として行われた。

講演、交流会、分科会など催し物が目白押しで、大会参加者は200名を越えたという。私は「教師のための発声・表現・演劇講座」と題したワークショップの依頼を受け、40数名の先生方のご来場を頂いた。

北は北海道、南は九州・沖縄から自費参加された、ほとんどが現役の教師の皆さんである。年齢も20歳代から50歳代と多岐に亘り、教師としてのスキル向上のヒントになればと思っての参加であることは間違いなし。私の責任は重大。

教育現場と俳優の育成。共通点は多い。予め紀要原稿として「俳優教育と教育現場 共通項の考察」を提出。皆さんには配布済みである。

ただ、それをこのワークショップでもう一度なぞらえるのでは意味がない。時間も3時間と限られている。原稿は読んで頂ければご理解頂けるのだから、この日やることは「実践」。私は芝居屋。体当たりするしかない。

この日のテキストとして新たに用意したのは、不登校をテーマにした著書から引用・抜粋したもの。40数名ひとり一人に少しでもいいから声を出してもらい、腹式発声の効用を説く。普段は大声を出している先生方だが、この日はそうはいかない。教師といえども俳優ではないのだから、緊張から声が細くなってしまう。

「ロックの『ア』→「ロックをはずした『ア』→「子音のロング」→「子音の喋りスピード」と、日頃、羽鳥塾で飛び交うボキャブラリーが先生方に向けて発せられる。もちろん笑いも必要だから、軽口を叩きながら和やかにワークショップを進ませる。

「歩きながらの発声」、「ジョギングでの発声」等々も羽鳥塾ではお馴染みのものだ。「拝み倒し」と呼ぶお腹の裏の自然な膨らみも、実際に私の腰に触ってもらい、体感してもらった。

つまり、普通は半年ほどかける羽鳥塾の基本発声を、この3時間に満たないワークショップでダイジェスト版として体験してもらったわけだ。

「その話し方では怒気は届くが、肝心の先生の意思・思いは伝わってこないのではありませんか」、「先生にそのつもりはなくても、権威越しに押さえつけようという内面の無意識が生徒に見透かされているような気がします」等々、私も随分勝手な感想をお伝えした。ご立腹された方もきっといらしただろう。

最後の40分間は質疑応答。様々なご質問、ご相談を受け、どれも興味深かった。その中の一つ、男性教師のS先生が打ち明けられた悩みをご紹介する。

「壇上から指示を出しても、生徒がなかなか私の言うことを聞いてくれない。騒いだままなんです」。1分ほど話し続けたであろうその切々と訴える言葉は会場中に響き渡った。もちろん声量は充分。聞いている教師の方々にも覚えのあることであろう。皆、水を打ったように静まりかえっている。

「ではこちらに来て、実際に教室でやっているように、生徒に語りかけて下さい」。
私の促しに応じて前に出てくると、S先生は私の横で、普段実践していることを始める。
「みんな、静かにして!これから~~します。云々カンヌン~」。

2005年08月19日

教師のためのワークショップ in 東京 後編

それを聞き終わると、私は「先程、ご自分の悩みを皆さんに訴えたように、もう一度語りかけて下さい」。

一瞬ポカンとされた後、S先生は壇上を降り、ご自分の席に戻られると、生徒が自分の指示に従わないという悩みを再び訴える。・・・その説得力のあること・・・!

彼の想いは我々の心にダイレクトに響いてくる。それから再度、彼は壇上に昇り、再び「教師」となり「みんな、静かにして!~~~」と指示を出す。

このように同じことが二度繰り返されると、成り行きを見守っていた他の先生方の中にも真実が見えてくる。

自分の悩みをとうとうと訴えるS先生と、生徒に呼びかけるS先生とが、明らかに「別人」なのだ。前者は血の通った人間であり、後者は指示を「音」として発する「先生」という仮面をかぶった人となっている。

駅のホームでよく聞かれる構内アナウンスに近いと想像して頂くと分かりやすい。駅員の発する言葉にニュアンスはほとんどなく、感情や意思が込められていることは稀である。

S先生の生徒に向けて出す指示も血の通った人間が発するものとしてではなく、無意識ではあるにしても、権威を背景とした「類型的な音」として生徒の耳に届いているのではないか。指示を出す対象は生徒ひとり一人にではなく、生徒全体という「ひとまとめ」に向けられている。

S先生の内面の実(じつ)は「教師言葉という類型」に埋没し、生徒ひとり一人には届いてはいない。私はそう判断した。

大変失礼な分析ではある。しかし決して悪意、中傷あってのことではない。私のこの考えに一理あると認めて下さった先生も大勢いらした。そして何より、当のS先生ご本人がご理解、納得して下さった。

相手が個人であろうと複数であろうと、生徒に向き合う時には「実(じつ)を持って語りかけていく」ことこそが重要なのではないか。これが私の提起したテーマだった。

権威そのものが失墜しつつある現在、権威を背景にした物言いは、相手の心に響くことはない。何らかの恐怖や畏怖等を相手に抱かせるという特別な背景があれば別であるが。

この質疑応答では他の先生にも色々とご指導頂いた。その中には、今回取り上げた課題は「親密圏」の語り・話法を主としており、「公共圏」のそれとは差異があるのではないかというご意見があった。真に的を得たものである。

もし今後またこのような機会があれば、反省材料として生かし、修正・手直しをしたいと思う。しかし、今回参加して下さった教師の皆さん方は、何と個性豊かであったことか!俳優として舞台に立って欲しいほどだ。

「この先生は普段一体どんな人なんだろう?少しでもいいからその人生をのぞいてみたい」。そんな芝居屋の悪趣味がもたげて仕方なかった。

知り合いからご紹介頂いた大阪の高校教師が、今回お世話になった佐藤功先生。面白い人、飾らない人、内に秘めたる実践的知性と柔軟性を併せ持つ怪人。そしてロマンチスト。とにかく一言で語ることのできない奇人だ。

この方のご尽力によって実現したのが今回のワークショップ。教育現場を知らない私の随分生意気且つ勝手な物言い・振る舞いを容認して下さった。心から感謝申し上げる次第である。

本当に良い経験をさせて頂いた。さて、これが次なるどのような布石になっていくのであろうか。楽しみにしよう。

2005年09月02日

銀河劇場オンステージワークショップ2008

降雪予報が出ていた2月9日の土曜日。銀河劇場(天王洲アイル)で「オン・ステージワークショップ」が行われた。

テキストはホリプロで上演された「ピーターパン」の上演台本から抜粋。私が考案し、A4用紙6ページほどにまとめた。使用ナンバーは6曲である。抽選で選ばれ、参加した受講者数28名。上は40歳代の女性から下は9歳の女の子まで多岐にわたり、中学生、高校生、一般の合わせて4名の男性も含まれていた。


演出と演技指導を私が担当し、振り付けは松永さち代君、西島美子君が歌唱と音楽指導に当たる。もちろん羽鳥塾ミュージカルクラスの講師仲間だ。照明や音響、舞台進行は何と銀河劇場のプロのスタッフさんがついて下さる。ワークショップと言えども豪華である。

今回のワークショップ。副題を「ミュージカル入門 レッスン~お稽古~本番」までとした。ミュージカル俳優が日頃行うレッスンと、実際に本番の舞台に上がるまでの過程をミニ体験してもらおうという試みである。

プログラムは【A】レッスン編、【B】ピータパンの稽古編、【C】本番と、大きく3つに分けた。
まずは午前中に【Aプログラム】①ダンス ②歌唱・発声 ③台詞・発声を行う。

午後に入りピーターパンのテキストと楽譜を使った【Bプログラム】④コーラス稽古 ⑤本読み ⑥振り付け ⑦総稽古。

そして最後に【Cプログラム】⑧本番(発表会)の順である。もちろん全て銀河劇場の舞台を使って行う。


3つのプログラムを午前10時半から昼食をはさんで午後4時までで行おうというのだから、少々無茶ではある。しかしただ面白おかしいワークショップにはしたくなかった。受講者には束の間の俳優修行を体験して頂きながらも、作品創りがスタッフと俳優による共同作業であることを少しでも理解して欲しかった。

さて、テキストや楽譜は前もって受講者一人ひとりにお渡ししていた。だから自分がどの登場人物を演じるか興味津々だったはず。配役は当日の午後、【Bプログラム】開始直前に発表した。


【Cプログラム】「本番(発表)」に向けて一番懸念していたのはダンスである。「アイム・フライング」「ウェンディ」「海賊の歌」の3曲の振り付けに当てられた時間は僅か90分。

失礼な言い方ながら受講者は素人であるから、正直言って私は、いくら松永君といえどもダンスまでのレベルには至らず、立ち位置を決めて構図を作るのが精一杯だろうと予想していた。

しかし嬉しい誤算!受講者の多くにダンスのレッスン歴があり、やさしい振り付けながら、松永君もプロのダンサーに教えるノリで振付けを始めたのである。おかげで予定より15分ほどオーバーしたものの、真に「ミュージカルらしいダンス」となった。


そしていよいよ本番(発表)。当日に発表された配役である。台詞や歌詞が出てこないのは当たり前。だからテキストや楽譜を手にして演じるよう勧めたのだが、誰一人持たない。えっ・・・?本当・・・?大丈夫・・・? 


私は少々慌てたが、やがて驚きは感動に変わっていった。「うまい」とか、「下手」などの評価は無用であり無粋。皆さんの「一生懸命さ」に打たれてしまった。何と言っても、演じようという「集中力」が素晴らしい!自分の持っている技量の中で精一杯やろうとしていて、ただただ「ひたむき」。プロになるための充分条件と断言するつもりはない。が、必要条件であることは間違いない。

総括。今回受講された皆さんは演劇に興味をお持ちの方ばかりであろう。願わくはこれからも劇場に足をお運びになり、お芝居やミュージカルを厳しく優しい目で御覧頂きたい。そうやって劇場文化を育てて下されば幸いである。


また、きちんとしたレッスンを積んでプロを目指してもいいのではないかという才能も、今回数人お見受けした。いつかどこかでお会いするかもしれない。それも楽しみである。
ワークショップが終了した当日の夜、予報通り雪が降った。あの日、受講者の皆さんは無事に家路につかれただろうか。

2008年03月07日

銀河劇場オンステージワークショップ2009

2月8日の日曜日。昨年に引き続き、今年もまた銀河劇場での「オンステージ・ワークショップ」の講師を務めさせて頂いた。 テキストは昨年と同様、ホリプロで上演された「ピーターパン」の台本から私が抜粋したものである。参加者は9歳から40歳超の27名。母娘で参加という微笑ましいお二人もいらっしゃった。

 講師陣の顔ぶれは昨年と変わっている。歌唱指導の鈴木京子君は羽鳥塾ミュージカルクラスの講師仲間。劇団四季在籍中に「オペラ座の怪人」のクリスティーヌ、「美女と野獣」のベル、「エビータ」のエビータ等々、数々の主役を務めた実力派だ。「名選手、必ずしも名監督とはなり得ず」は大はずれ。彼女はトレーナーとしても群を抜く力を持つ。

 振付の羽根渕章洋君も元劇団四季。「キャッツ」のミストフェリーズ、「ライオンキング」のティモン等々、多くの作品に出演し、活躍していた。現在、現役のダンサーを続けながら、クラシックバレエの講師や振付家として活動している。

 アシスタントは坂本一海君。私の主宰するミュージカルクラス、演技クラスの両教室で学んでいるバリバリの若手ミュージカル女優さんだ。秋に上演する「夜物語」への出演も決まっている。将来はダンス指導や振付の分野にも才能を発揮していくことだろう。

 さて、ワークショップは昨年と同様の流れで運んだ (2008年 3月7日 演劇雑記参照)。午後5時過ぎ、舞台では高揚した表情で並ぶ参加者の眼前を緞帳(どんちょう)幕が下ろされていく。一日の成果を発表する「本番」が終了したのだ。劇場関係者の声をご紹介しよう。

 「ワークショップを受ける前と後で、素人さんでもこんなに変わるんだ?! もう、感動して涙が出た!」 この感想を漏らした御仁、若い方ではない。演劇界で40年以上も精力的に仕事をされてきた方だ。他にも見学者の多くが「感動した」とおっしゃってくださった。

 では一体何が皆さんにそう言わしめるのか? 短時間ながら自分の課題に必死に取り組む参加者の姿である。そこにはプロの俳優にありがちな「うまくやりたい」、「成功して有名になりたい」などの邪心はない。ただただ必死に「やり遂げたい」という熱い想いがあるだけだ。

 脇目もふらず、目の前のことに全力を尽くす。ありきたりな言葉だが、その姿勢が見ている者を感動させたに違いない。指導している私だって目頭が熱くなった。

 一般の方が劇場に親しむ機会を提供する、この銀河劇場の「オンステージ・ワークショップ」。副題は「ミュージカル俳優入門 レッスン~お稽古まで」。ミュージカル俳優が日頃自らに課す訓練や、公演のために踏む稽古プロセスを、たった半日ほどで体験する試みである。

 いつも客席から見ているだけの舞台上で、束の間ながら実際に自分が俳優として演じ、歌い、踊ったという経験は何物にも代えがたいはずだ。参加者の皆さんがこれからも熱い想いを持って演劇を支えて下さる観客となられることを強く信じている。このような試みは一般の方が劇場文化へ関心を持たれる良い機会だ。是非全国各地で行われることを祈りたい。

 ワークショップ当日は「ケーブルテレビ品川」さんの取材も入っていた。「きょうの参加者の出来は何点ぐらいですか?」のインタビューに私は自信を持って答えた。「100点満点です!」

2009年03月04日

日本一の栄冠~大阪のワークショップに参加した先生と生徒達

嬉しいニュースだった。日本弁護士連合会主宰の「高校生模擬裁判選手権東西対抗決戦」で、京都教育大学付属高校が見事日本一の栄冠に輝いたのだ。

昨年9月、大阪高生研 (おおさか・こうせいけん/全国高校生活指導研究協議会大阪支部の略) のお招きで「教師のための発声・表現・演劇講座」なるワークショップの講師を務めさせて頂いた。2005年の東京大会に引き続き2度目である。

参加者は現職の教師の皆さんの他、高校生も含め38名。前回と同様、「飛んだり、跳ねたり、腕を回したり」しながらの発声練習を終えると、質疑応答に入った。

「俳優にとって観客に言葉や想いを届かせる技術の習得は必要不可欠。教育現場でも同じではないか」と私が話すのを聞いてのことだったと思う。高校生から質問が上がった。

「観客を意識してしゃべるんですか?」、「そうです」、「どんなことに注意すればよいですか?」。

おそらく「説得力のある話し方」等々、多少の技術的アドバイスをしたはずだ。しかしこの時、彼らが模擬裁判の大会に出場する京都教育大学付属高校の生徒さんたちとは知らなかった。

後日、指導していらっしゃる札埜(ふだの)先生から、上述の大会に出場します、とのメールを頂いて初めて知った次第だ。

「彼らが模擬裁判に…?」。

11月、大会は東京で行われた。彼らの奮闘振りをこの目で見たかったが、決戦当日の都合がつかず、残念至極。

「模擬裁判の甲子園」ともいえる同選手権。一つの事件を素材に争点を見つけ出し、弁護側・検察側に分かれて「試合」を行う。

今回の題材は、「男性が左胸を刺されて死亡し、男性の妻の兄が犯人として起訴されたが、殺意を否認している」というもの。まるでドラマだ。証拠書類をもとに論理を組み立て、主張・立証もするらしい。

予選から高校生達の戦いぶりを見ているプロの弁護士の評は真に興味深い。

「~相手に訴えかけたり説得したりという本来あるべき姿を、プロの法律家以上に表現している」。

これ、俳優への評ではありませんぞ…。

2009年01月12日

ロータリークラブ1

4月17日(金)夕刻。京浜急行の金沢八景駅からシーサイドラインに乗り換えて2つ目の野島公園駅で降りる。向かうは横浜市野島青少年研修センター。

同センターで開催される「第25回ロータリー青少年指導者養成セミナー」のプログラムの一つ、「演劇ワークショップ」を担当させて頂くことになったのだ。

 同行はミュージカルクラスの講師仲間、松永さち代君、西島美子君。他にお手伝いとして羽鳥塾の塾生、浅野哲、門川明日香、菅野直美、坂本一海、野口智世、麦谷八絵の6名。

 ところでロータリークラブとは一体いかなる活動をしているのか? 国際ロータリー第2590地区のガバナー、清水良夫氏がパンフレットに書かれたメッセージから一部引用させて頂く。

 「世界の事業・専門職務のリーダーや地域社会のリーダーであるロータリアン(会員)が世界的なネットワークを作り、地域社会、国際社会において人道的な奉仕活動を行い、職業における高い道徳規準を奨励し、世界中で友好と平和を築くために尽力しています」。

 高邁な理想、理念の元に活動されている組織であることが分かる。また、セミナーについてはパンフレットにこう謳われている。「14~30歳までを対象に指導力や善良な市民としての資質を伸ばすことを目的とした集中研修プログラム」。

 何とも大変は仕事を引き受けてしまったのではないか…。正直なところ、当初、相当心配になった。

 セミナー参加者は90名弱で男女比はほぼ半々。同センターに2泊3日で合宿生活を行い、互いの親睦を深めながらハードなスケジュールをこなしていく。

朝6時に起床、散歩から始り、「アイスブレーキング」、「救急法講習」、「AED」、「日本の食糧事情」、「裁判員制度」、「模擬裁判体験」等々、夜までびっしりとプログラムが組まれている。

「リーダーシップとコミュニケーション」等の基調講演もあり、実に多種多彩。そして17日、18日の最後を締めくくるのが私の「演劇ワークショップ 6つの物語/様々な人生」であり、最終日19日の午前中には、その発表会も行う。

 さて、いかなる様子であったか? 詳細は次回。

2009年05月11日

ロータリークラブ2

今回の「ロータリー青少年指導者養成セミナー」。参加者のほとんどが一般の社会人で、演劇に関心のある方やミュージカルファンがそう多いとは思えなかった。だから当初テキストづくりは難航。

「歌って、踊って、台詞もしゃべって、のミュージカルであれば、終了後の達成感があります。いかがですか?」。私の提案に、「ミュージカル? 歌があると知ったら、皆、引いてしまうかもしれません」。セミナー実行委員会の方が申し訳なくお答えになった。うーん……。

 で、「寸劇」で行くことにした。お芝居。だが、ストレートプレイの俳優でも日頃から肉体訓練としてダンスやボーカルのトレーニングを行う人は多い。だから今回の参加者にも、プロの俳優が行っているであろう日常トレーニングをミニ体験してもらおうと、ジャズ・ストレッチとボーカル発声をカリキュラムに入れた。

松永さち代君と西島美子君の出番だ。それぞれ25分ずつで、私の台詞の発声が30分。以上をウォーミングアップとした。

 さて、肝心な寸劇。ワークショップ参加予定人数をまずは90人と想定し、寸劇6つを私が考案し、参加者を6つのグループABCDEFに分けた。1グループが15人。さらに1つの寸劇の中に3つのシーンを作り、グループ内15人をそれぞれのシーンごとに割り振る。つまり1シーン5人の計算。

以上を基本形とし、実際の参加者の増減はテキストにおける登場人物の増減として、現場で調整すればよいと考えた。

 ところで今回の目玉。それは羽鳥塾の塾生がそれぞれ各グループのリーダーとなり、演技指導、演出を行うことだ。

浅野哲、門川明日香、菅野直美、坂本一海、野口智世、麦谷八絵の6人にとってはもちろん初めての経験。皆、戦々恐々としていた。私はニンマリして彼らに言った。「教えることは教わることだよ」

 2日目と3日目の各1時間。ワークショップ参加者とは年齢も近い塾生6人の格闘が始まった。

次回は「ロータリークラブ」の最終回。

2009年06月26日

ロータリークラブ3演劇には力がある!

塾生6人がそれぞれリーダーとして別々な部屋で各グループを指導している。私は6つの部屋の外をウロウロしながら、時折、すき間からのぞいたり、ドアに耳をあてたりする。50歳を過ぎた男にしては少々みっともない。

笑い声が聞こえることもあれば、議論めいた会話も飛び交う。心配ではあるが、塾生6人が体をはってセミナー参加者とぶつかり合っている。

セミナー3日目、19日(日)、午前11時。いよいよ6つのグループによる発表会である。実行委員の方々だけでなく、第2590地区のガバナー清水良夫氏を始めとして、ロータリアン(会員)の方々も見学にいらっしゃった。

発表会が始まった。劇場ではないが、少しでも雰囲気を出そうと、会場の照明スイッチを消したりつけたりしながら、汗だくになっているのは私である。出来る人が出来ることをやる。芝居を創るのには当たり前のことだ。

俳優としては全くの素人。3日間で計たった6時間ほどの稽古。セミナー参加者の出来はいかがであったか?

「演じるひたむきさと観る思いやり」、「取り組む実直さと、応援する暖かさ」。俳優と観客の良き関係が、この会場に流れていた。

感動したのは私だけではないだろう。セミナー参加者、見学のロータリアンの面々。

「演劇には力がある!」。人を感動させ、時により人の一生を変えてしまうような。私は改めて確信した。

この度、ロータリアンの方々と出会い、セミナー参加者と出会った。そして色々と学ばせて頂いた。「出会いと気づき」…。これは秋に上演するファンタジー・ミュージカル「夜物語」のサブ・テーマでもある。

出会いに感謝!

2009年07月13日

羽鳥塾の稽古1

3月15日に開講した羽鳥塾のグループレッスン。22日、29日と3回のレッスンが終わった。生徒は毎回6~7名で、ほぼ同じメンバー。参加理由は様々。
 
 ・外の演劇学校や演劇教室に飽き足らず参加した方
 ・これから劇団や演劇の大学を目指す方
 ・現在プロダクションに所属していて、これからオーディションを受ける方
 ・既に芸能界で活躍しているが、今一度自分の演技をチェックしたい方


まず初めに行うレッスンは「声を出すこと」。発声である。
日本語は基本的に胸式呼吸で語られやすい。それを腹式呼吸にのった発声にしなければならない。
およそ言語を発する表現芸術において、発声を鍛錬し、言葉をコントロールしないものはない。
私の方法論はそう信じるところから始まっている。
レッスンはまず「発声の基本」と「発想の仕方」を行い、この両者の融合を図る。

ではそのレッスン風景。
スタジオには私独自のボキャブラリーが飛び交う。個々の生徒に取らせるポーズもユニークなものばかりだ。そのほんの一例を挙げる。

  ① 正座して額を床につける 「おがみ倒し」
  ② 喉を開けるために行う  「アゴ上げ」
  ③ 大きく開けっ放しの口に手を突っ込む 「親指と人差し指でロックして発声」

数え上げればキリがない。これらは全て腹式で声を出させるためのエクササイズだ。
腹式の発声にするにはノドを開かなければならない。ノドさえ開けば、腹式にならざるを得ないのだ。お腹を無理に動かそうとするのが腹式発声ではない。


次には実際の台詞のレッスン。単語ごとに腕を大きくバツ印に空を切らせたり、振り回したりさせながら、台詞をしゃべってもらう。これは「手切り」と名づけたエクササイズで、言葉を自分のものにする感覚を養うレッスンだ。さらにエクササイズは次の「3段階」と呼ばれるものに移っていく。

 ①「無感情ポジションのロング」。生徒はノドを開け、台詞の一音一音を各2秒以上
   発音しながら言葉を語っていく。ほとんど棒読みに近い。
 
 ② 今度は生徒個人がその台詞を言うための「事情」「理由」「動機」を考え、それらの
   「思いを込めた息を吸ったり吐いたり」を繰り返す。

 ③ ①で行った体のポジションを保ちながら、②の息に台詞の言葉を乗せて行く。

芝居をするというのは、芝居をすることではない。いささか禅問答のようだが、「芝居をしよう」、「演じよう」とすることが、体に余計な緊張を与え、発声は胸式となり、芝居が小さくなってしまう。台詞は単なる説明に過ぎなくなり、登場人物が語るべき言葉とはほど遠くなる。それを片っ端から指摘して、台詞を腹式に落とさせ、合わせて生徒個人の言葉として発するよう指導していく。これが私のやり方だ。


自分で言うのもおこがましいが、ユニークでユーモア溢れるレッスンが私の信条。リラックスして心を和ませながらメソッドの正しさを認識してもらう。このページを読まれた方はご自分で実践してみるのも手だ。


「グループレッスン」の利点は自分のことは分からないが、他の生徒がやっているのを見ると、その理論の正しさが分かるという点にある。初めて芝居をやる方は、まずは他人という鏡を通して、自分を知ることだ。その積み重ねが自分自身を確実に育てていく。理論に裏打ちされた実践、確かな耳を持つ指導者がいれば、俳優は誕生する。

1時間半のレッスンが毎回2時間を越え、グループレッスンに参加している人も私も時間の感覚を忘れるほど集中している。教えることを「天職」と考える私にとってまことに充実した時間だ。

しかし「教えることは教わること」でもあり、私自身、毎回生徒さんに多くのことを教わる。だから私は自分のことを「先生」と呼んで頂くのをお断りしている。「羽鳥さん」で結構。このことを一生変える気はない。

2004年04月01日

羽鳥塾の稽古2内面の支え

羽鳥塾の月曜日と木曜日の初級クラスが、いよいよ「内面の支え作り」レッスンに入った。平たく言えば「リアリティーの追求」。これまでに行ってきた発声訓練はこのリアリティーを表現するための道具を磨くことであった。

頑なに自分に鎧を身に着けている俳優個々の状態によって施す処方箋は違うが、大きく分ければ以下の二つのエクササイズを新しく課す。

①「きょうの一日」

俳優にまずその日の朝からの行動を語ってもらう。発声にとらわれずに同じ内容を3~5度。本人が実際に経験していることだから、何度喋ろうが圧倒的なリアリティーがある。この時、自分の中に起こっている意識がどう流れているかを確認しもらう。語るとはどのようなメカニズムになっているのかを漠然とでもいいから知る事が大切だ。

そして途中、突如、課題として取り組んでいる台詞を喋るよう指示を出す。自分自身から登場人物への移行だ。この時それまで喋っていた「きょうの一日」の意識と同じポジションをはずさないよう心がけさせる。
自分がリアリティーを持って喋っている時の肉体と意識の流れを変えさせない。どのような役を演じようが、決して俳優個人から離れないことが大事であることを認識してもらうエクササイズである。

②「マイム練習」

語られる台詞の一語、一語に手振り身振りをつける。場合によっては動き回り、踊り、寝転がる。これまで行ってきた「手切り」エクササイズのような単なる言葉の「仕分け」とは違う。さらに一歩進んで、俳優本人が持っている言葉のイメージをマイムで表現してもらう。語られる言葉のイメージを肉体で表現できなければ、俳優が「リアルな時間を送っている」ことにはならず、台詞は単なる記号としてしか意味を持たない。

以上のレッスンはかなり難しい。殊に取り組みの最初は、ほとんどの俳優がお手上げ状態となる。しかし今までの発声の基本訓練と同じく、このレッスンを続けることで演技の本質が俳優の肉体に刻み込まれていくことは確実である。
「自分の素」を使って、言いたい内容を意識で追っていく。役の意識を自分の意識として捕らえ、その中で語られるべき言葉の内容をイメージと行動で示していく。

「俳優とは登場人物として生きていくこと」。言葉にしてしまえば簡単なこの大命題が俳優の体に刻み込まれていくには、具体的な技術訓練が必要なのである。

2004年06月10日

羽鳥塾の稽古3登場人物の背景

前回、羽鳥塾の演技レッスンが「内面の支え作り」に入ったことを述べた。その最後にあった「~バックグランドを信じる~」について。

登場人物A、B二人の前に納豆がおいてある。二人の台詞はどちらも「納豆だ」。
台本にはA、B二人の出身地など書かれていない。書かれてあるのは彼らが物凄く腹ペコだということだ。演出家からは「Aは喜んでくれ」「Bはがっかりしてくれ」だけの指示。これを遂行するにはどうするか?

「喜ぶ演技」をしたり、「がっかりした芝居」をするのでは、説明的演技となる。「喜ぶ理由」が必要であり、「がっかりする理由」が大事なのである。それらが台本に書かれていない以上、俳優が自分でその理由を作り上げるしかない。台詞の裏をとるのだ。

Aは東京の下町育ち。子供の頃から朝はご飯に味噌汁、納豆の食事。納豆はもちろん大好物である。

Bは関西育ち。納豆は初めて食べた頃から大嫌い。関東の人間が何故こんなものを食べるのか理解できない。


このように、まず自分で登場人物の背景をイマジネーションで作り出し、「信じる」。

すなわちAは「僕は子供の頃から納豆が好き。納豆さえあればご飯を何杯でもお替りした。少ない納豆をめぐって弟と喧嘩し、取り合いしたこともある。あれは確か小学校3年生の時。クラスの先生が新しく赴任してきた若い女性だったので、その頃だと良く覚えている」。

Bは「小学校1年生の時、東京から転校してきたクラスメートの家に遊びに行って、夕ご飯をご馳走になった。その時納豆が出て、その嫌な臭いに身震いしたが、悪いと思い口に入れた。すぐに吐き気がして泣き叫んでしまい、クラスメートのお母さんを困らせてしまった」等々。これを信じればよい。

ただし台詞を言いながら無理にこのイメージを喚起させようと思わなくてもいい。肝心なことは役作りの上で「バックグランドを声に出して語って体に入れ、信じる」こと。そうすれば、やがてその台詞は自らの「イマジネーションによって創造したバックグランド」を反映することとなる。解釈だけではいけない。信じること。体に刻み込むこと。

さて、「納豆だ」の台詞はどうなるか?

アメリカ西海岸にある演劇学校では、この「バックグランド」の創造レッスンに1年かけるそうである。台詞は1年間一切言わせない。そこで育った俳優がアカデミー賞を取った。  

2004年08月16日

羽鳥塾の稽古4演技神経

●演技神経
私は「運動神経」に比して「演技神経」という言葉を使う。「運動神経がいい」とは、乱暴な言い方をすれば、自分の肉体を望むように使える能力が高いということである。

早く走る、高く飛ぶ、来たボールを打つ、相手を投げ倒す。スポーツ選手はこれらの目標のために練習を積み、最適な肉体運動を習慣化して自らの第二の天性としていく。

演技も同じ。「想像力」を働かせ、台本に書かれてある登場人物・背景・生きるべき世界を信じきる。その結果「心」の動きや沸き起こった「感情」を内面の支えとして、己の「意思」を発していく。

演技のメカニズムを大まかにまとめれば、次のようになるか。

   ①想像力を信じた結果(意識)

   ②心が動き、感情が沸き起こる(リアクション)

   ③やがて現実的な対処を起こしたくなり(衝動)

   ④己の意思を発する(アクション)

俳優はこのプロセスのトレーニングを繰り返すことによって「演技神経」を鍛える。

誰もが経験のあることを例に、「想像力」と「リアクション」について話す。

遠い昔に聴いたことのある音楽が聞こえる。その途端みずみずしく甦ってくるその頃の思い出。これは本人の「意識」が昔を追った結果、自然に感情が沸き起こったのだ。失恋の想い出であったら涙さえ流すだろう。

私の演技法はこの理屈を使う。「想像力」を駆使して「意識」を追う。その結果起こる「リアクション」はみずみずしくあるべきだ。決して「説明的」であってはならない。

「気持が動く」「感情が沸き起こる」とは、想像力への信頼から起こる。能動的なものではない。何でもかんでも積極的な感情で喋ることを演技と勘違いしてしまうことが何と多いことか。それは「根拠のない感情」の貼り付けであり、「説明的演技」に過ぎない。

語られるべき台詞は、充実した内面の支えが反映されるものであり、台詞そのものを根拠のない感情で飾ることは演技の逸脱を招く。感情過多になるだけだ。

●リラックスと集中の必要性
役の創造過程の中で「力み(りきみ)」が一番障害となることを誰もが経験する。肉体や精神に起こる不必要な緊張を克服し、「リラックス」を獲得しなければならない。

車の運転で言えば、絶えず発進できるための「ニュートラル」の状態におくことの重要性。「リラックス」についてはスタニスラフスキー・システムは言うに及ばず、アメリカ流の「メソッド」まで含め、今日様々なレッスン・プログラムがある。

動物の真似をし、その中で身体に必要なリラックスを獲得しようというレッスン。床に仰向けになり、癒しの音楽を聴きながら呼吸を落ち着かせるレッスン等々、種々雑多な「~法」、「~メソッド」がいくらでもある。こういったレッスンを私は否定しないが、取り入れようとは思わない。

この類により獲得しようというリラックスは俳優の不安を鎮める効果はある。しかし俳優が抱える根本問題に斟酌せず行うリラックスのレッスンは、その効果を疑う。俳優が登場人物を演ずるのに獲得しなければいけないリラックスとは、演技によって手に入れなければならない。そのために必要なものが「集中」である。

リラックスを獲得した肉体と精神を使い、他の登場人物の行動・台詞を「どう見て、どう聞くか」。状況に対し「どう対処するか」に集中する。その結果リアクションが起こる状態になるよう、絶えず肉体と精神をコントロールする力を得なければならない。

2005年02月01日

羽鳥塾の稽古5上手になりたい

「もっと早く上手になる方法はありませんか?」。レッスンに熱心な生徒に尋ねられて、私は苦笑した。

羽鳥塾が開講してやっと1年が過ぎようとしている。
生徒の多くは学校や仕事、そしてオーディションを抱えながらも、基本的には週に一度、私のレッスンに通ってくる。このところ、ようやく「立って台詞を言う」ことができる生徒が出てきた。

しかしここまでは厳密に言えば「演技」のレッスンではない。演技の前の段階。私が今まで求めてきたのは、「イメージを反映させた台詞を腹式の発声でしゃべる」という技術の習得である。「台詞を喋る発声と発想のメカニズム」を体現、実行させたにすぎにない。

このレベルに達した生徒がいよいよ本格的な演技のレッスンに入る。

登場人物同士がシーンを形成していき、羽鳥塾のスタジオで行われているそのシーンが、あたかも現実のものとして再現されているかのようなリアリティー。これを持つにはどうすればいいか。長い道のりだ。

テキストの背景を信じ、それを想像力を駆使し、自分に起こる現実のものとして対処する人物の創造。虚構の世界の中で生徒は、立ち、坐り、動き、止まり、語り、黙るだろう。彼らは必ず何らかの行動をし、登場人物として生き抜かなければならない。

このレッスンでは、前述の「発声と発想の一致」という基本技術を使うことが出来なくなってしまう俳優も多く出るだろう。「感情や心理・行動はそれでいいけれど、発声が伴っていないから表現として伝わらないよ」。

このアドバイスを受けた時こそ、基本技術に一年を費やした成果が出る。生徒は学んだことを思い出し、修正する方法を自ら模索できるはずだ。

その他にも「動きと意識の不一致」なる問題を含め、さらに様々な課題に彼らは突き当たるだろう。演技レッスンはまさにこれから始まる。この一年間は助走に過ぎなかった。ただしそれはとても大切な助走だったが。

それで冒頭の熱心な生徒に対する答え。「早く上手になる方法はありません。もしあったら僕がやってました。レッスンを続けましょう」。

2005年04月01日

羽鳥塾の稽古6大泣き

レッスンを行っている最中に、生徒が「泣いてしまう」ことは珍しくない。
もちろん私のアドバイスに対しての反応として起こる現象である。理由は大きく分ければ二つ。

①頭で分っているのに(理解している)、出来ない自分に腹立たしく、悔しくて泣く。
 
②「心の開放」が出来ない自分に直面し、何とかしようとするのだが、意思とは裏腹に、私が課すエクササイズに取り組むことが出来なくなってしまう。結果、拒否反応として泣く。

きょう取り上げるのは②のケースである。

レッスンが進んでくると「心を開放できない」という問題が、進歩を阻むという段階にぶつかる。自分をさらけ出せないのである。我々は「割れない」という言葉で表現する。

それまでのエクササイズを一応無難にこなしてきているが、この根本問題が解決しないために、「作り声」「作り台詞」となり、加えて「喋り切る」ということも出来ない状態に陥る。

そこで少々荒っぽいエクササイズが必要となる。こうなると理屈もへったくれもない。ただ「飛び込ませる」だけ。
ただし私は生徒を叱りつけたり、嚇したりして、追い詰めるという方法は取らない。あくまでも問題点を克服するためのエクササイズを課す。
このレッスンの最中に一人の生徒が涙を流し続けたまま、立ち往生してしまったのである。解決方法の糸口として「ヤクザの姉御」の言い回しを、私の口真似でさせてみる。

類型的であるが、役の型に飛び込み、表現を前に出させる苦肉の手段。よく日本映画などで見かけられる凄みのある一言台詞を言わせる。しかし生徒は一言も発せず、「涙の棒立ち」となった。数分にらみ合いが続き、ついに時間切れで次回に持ち越し。

そして翌週。今度は選挙カーに乗った候補者演説の言い回しから始める。椅子の上に立たせ、ペンをマイクに見立てて、私が行う即興台詞の口真似をさせようと試みる。

1週間の猶予でその生徒も覚悟がついたのか、今度は泣きもせず、このエクスサイズに全力で取り組んでくる。

その後も別の即興の言い回しを繰り返し、とにかく「表現を前に出し」、「割る」ためのエクササイズを続ける。これらをひとしきり終えた後、元の台詞と演技課題に戻った。進歩あり。良くなった。この間15分程である。

グループレッスンだから個人にかける時間は短い。しかしこの生徒にとって己と格闘した死闘の15分であり、終わってみれば疲労困憊の態を見せている。もちろん私もクタクタ。

演技とは「自分として生きること」であり、台詞とは「自らを語ること」。そのための値千金の一歩前進だった。

2005年05月13日

羽鳥塾の稽古7型(かた)すなわち技(わざ)前編

前回「ローマ狂言一座に学ぶもの」を書いた。狂言は様式を持つ。習得の修行に幾年もかかる「型」を身につけ、俳優は作品が求める内面の心情・感情、或いは意識を「型」を通じて表現しなければならない。「外(そと)」と「内(うち)」との融合である。

イタリア人学生たちは異文化である狂言という様式・型を損なうことなく、自らが表現したいものを強く、そして意欲的に体現しようとした。様式は足枷にならず、表現する媒体として駆使されたのである。

プロや見巧者から見れば、彼らの狂言の演技に問題はあるだろう。しかし私は舞台表現者としてのイタリア人学生たちの中に外と内の融合を見た。

では伝統芸能に存在する様式・型に相当するものを、現代の俳優達は必要としないのであろうか。
「リアリティー」とはよく耳にする言葉だ。稽古場では言葉を変え、「もっと自然にできない?」等々、演技への注文として使われたりする。
しかしリアリティーは自然(ナチュラリティー)とは違う。それは「真実」であり、狂言のみならず、歌舞伎や能の「型」の中にも存在する。真実が無ければ、伝統芸能といえども感動するものではない。

そして「型」を通じて表現される真実は類型ではなく「典型」なのである。人間の営みにおける喜怒哀楽の真実が「典型」として表現される。社会と個人とに揺れる男の心情、男を愛する女の心情等々、我々が日々直面している情感の真実を、俳優は生身の人間として舞台上でさらす。

伝統芸能の演者たちの間では「型が先か、心が先か」の議論がなされることがあるという。さもありなん。「鶏が先か、卵が先か」と類似し、結論は出ない。言えることはただ一つ。「どちらも欠かせない」。

確かに今の時代に生き、今の言葉で語る俳優達の表現方法において、リアリティー以外の共通認識としての「型」はないように思える。しかし己の表現方法としての「型」は必要であり、それを追求していくのが俳優道ではないだろうか。

「どのようにすれば登場人物の思いや意識が観客に伝わるのか」。舞台に限らずテレビや映画でも、名優と言われる俳優は独自の「型」を持っている。「スタイル」と言い替えてもいい。

それは観客に、或いは視聴者、鑑賞者に、表現を届かせ、彼らを納得せしめる「何か」である。名優は意識するとしないとにかかわらず、「型」を持っている。

2006年01月06日

羽鳥塾の稽古8型(かた)すなわち技(わざ)後編

台詞 ②心の動き ③体の動き 羽鳥塾ではこの3つを一致させるレッスンに入った。
腹式発声の基本に従い、立って台詞を言っていた生徒達は、動きがついた途端、途方にくれる。内面のリアリティーに支えられた動きを表現できない。ただ歩くことさえも。
それまでの発声中心の台詞レッスンが、ただの演技の一部でしかなかったことを自覚する時だ。

独白でさえ「意識や情感の流れ」で舞台上を動き、表現されなければならないことはもちろんだが、例えば舞台上に2人の登場人物がいれば、彼らは「交流の力学」で動かなければならない。

舞台上での動きは全て「意味を持つ」シンプルな表現であるべきだ。余計な動作があってはならない。心の動きと体の動き、そして台詞を一致させる「技(わざ)」。これが日本の伝統芸能には「型」として存在する。見事。

私が「その歩き方は変だ。心の動きと合っていない」と真似てみせると、「そんなおかしな動きしてますか?」と、レッスン生たちは心外な顔つきをする。彼らは内面の働きのまま自然に動いている「つもり」だ。しかし、「俳優の自然は観客の自然ではない」。


生徒達はそれに早く気がつき、観客に違和感なく、演技をとらえるためにはどうすればいいかを追及しなければならない。

内面を表現するための自分の動きを「自然に見える型」として創造し、肉体に刻んでいくことが必要なのである。「己(おのれ)の型の確立」。それが舞台での「リアリティー」へとつながっていく。

「物言い」も同様。台詞が早口な生徒がいる。彼は普段も早口。自分にとってはリアルだが、観客は彼が何を喋っているかわからない。舞台上での動きもせせこましい。

台詞は観客に登場人物の心の動きだけではなく、作品のストーリーを知らせる大切なツールである。体の動きはそれをさらに増幅させてくれる重要なアイテム。

観客には登場人物の心の動きと作品のストーリーを知る権利があり、俳優はそれらを知らせる義務がある。義務を放棄してはいけない。だから俳優には表現技術としての「型」、すなわち「技(わざ)」が必要なのである。

「ローマ狂言一座に学ぶもの」で繰り返し述べた「表現したいという欲望・意欲」を強く持つ一方で、技(わざ)を磨く。発声の技、情感を喚起する技、身体表現の技。技(わざ)を駆使し、自分の内面に起こっていることを観客に届ける。これが俳優の仕事である。

もう一度言う。自分のリアルが観客のリアルではない。観客に自然に見えることは必要だが、それは必ずしも俳優自身が自然にいることではない。

2006年01月20日

肉体に刻み込む マグマ

テキストの通りに台詞を言えない生徒が少なくない。間違えて覚えていても平気の平左だ。

「台詞が正確に覚えられなくて」とはよく聞く言葉だ。しかし台詞は覚えるものではない。体に刻み込むものだ
台詞そのものは演技のうちの一部でしかなく、出口に過ぎない。肝心なのはそれ以前の段階にある。

しかし観客に「物語の筋を伝える」という意味では、台詞は大きな役割を担う。出口を誤れば、それまでの苦労、努力が全て水の泡。

先日読んだある雑誌に、元映画俳優だった料理人の話が載っていた。若い頃、彼はロケ先で台詞が覚えられずを連発。困った末、共演していた大女優さんに相談した。返ってきた答えはこうだ。


「台詞なんて千回も言えば覚えられるわよ。私は目、耳、舌、身体と五感のすべてを使って臓腑に叩き込むようにして覚えたわ」。

…千回…。彼は雑誌の中でこう続ける。
「決められた台本というマニュアルでも、体に徹底して叩き込めば自然に操れる。けれどその徹底して叩き込むというのがほとんどできない。

体に刻み込んだことは忘れない。自転車に乗る、泳ぐ。小さい頃に体で覚えたことは大人になっても忘れない。

肉体表現として演技をとらえること。テキスト(台本)を読み解き、登場人物が体験したであろうことを想像力を使い、自らの体験として「実際に体を動かし具体的に演じてみる」。

マイムで構わない。そのことで起こってくる感情を体験しておくことは役作りに非常に有効だ。
こういった準備を繰り返す中で、テキストを何度も読み返し、「役の心情」をストーリー展開の中でつかんでいく。やがて各シチュエーションでの「心の置き所」が定まるだろう。


次に台詞を体に刻み込む。登場人物や台詞の解釈は確かに必要。だがそれだけでは肉体表現に至らない。「役の心情」をつかみ、「心の置き所」が定まった上で、台詞一つ一つの言葉の持っているイメージとボリュームを体に刻んでいく。雰囲気にならずに台詞を具体的なイメージでとらえていかなければならない。

「手切り」、「仕分けのマイム」、「イメージのマイム」を駆使して台詞の内容・意味を取りながら、「伝えたい」という強い意思を持ち、腹式の発声で何度も何度も台詞をしゃべり、体に刻み込む。

台詞や演技が己の血や肉となり、全身の細胞から発せられるような肉体のメカニズムを一旦作り上げておく。その結果、「マグマ」が意識の奥底に沈殿するであろう。応えたい、訴えたい、表現したいという「衝動」だ。だがその存在は一時忘れてしまって構わない。

やがてあることをきっかけに「マグマ」は噴出する。「あること」とは、すなわち他の登場人物や状況、事件等々、外部からの「働きかけ」である。想念だってきっかけになる。

俳優は「アクター(行動する人)」というよりも、「働きかけ」に対する「リ・アクター(反応する人)と言うにふさわしい

2008年07月19日

生き方が悪かった!?

新聞や本を読み、テレビだったらドラマだけでなくドキュメンタリーも観る。私が日頃生徒に「追体験」として勧めていることだ。だが、こういったことに関心を向けない俳優が時々いる。少々驚きだ。一体何を表現したくて俳優を志したのか…?

彼らは自分の感性に少なからず自信を持ち、自分は何かを表現できる人間だと信じている。だからスポットライトを浴び、お客様の拍手を頂きたいと願う。悪いことではない。だが俳優志望の動機がそれだけだとすれば寂しい。

俳優は人間を表現する。だから俳優に求められるのは人間観察と洞察力であり、それを表現する高い演技力だ。人間というものに迫る真摯な姿勢が役の造形を深めるのだ。

人が一生で経験し体験できることは様々。しかし一個人に限れば、それほど多くの経験や体験ができるわけではない。だから俳優は自分が経験や体験したことのない人生を演ずることにもなる。日頃から知性と感性をストックするための「追体験」が必要な所以である。

それには読書を初め、美術、音楽なども含めた芸術鑑賞はもちろんのこと、自分の周りの人間たちや社会への関心を持つことが必須であろう。そういった追体験によって得られた知性と感性は無意識下に置かれ、ある時演技力というフィルターを通して表現へと至る源となる。

演ずる登場人物が観客の共感を得なければ、劇場には何も起こらない。社会に関心がなく、人間を深く掘り下げてみようともしない俳優が、劇場空間の中に感動を呼び起こせるだろうか。「あー、ああいう人物、いるいる!」、「分かるなあ、その気持…」、「そうなんだよ!そう!」etc,etc…。こういった観客の共感を得た先に「感動」がある。感動が生まれてこその「芝居」である。

一方、客席には人間洞察に長けた人物が多く存在する。人生の実相を知り尽くしている観客がいるのである。彼らを納得させる知性、感性、技術が俳優には必要なのである。

もう30年以上も前になるか。求められる演技ができないベテラン俳優に、演出家がこうダメ出しをした。「結局、お前はこれまでの生き方が悪かったんだ」。

稽古終了後、更衣室で数人の先輩方が、かのダメ出しについて口角沫を飛ばしている。掃除要員としてドアの外で待っていた私に、こんな言葉が聞こえてきた。「ダメ出しでも直せるものと直せないものがある。これまでの生き方が悪かったなんて言われちゃ、どうしようもないよなあ!」。…確かに…。

今思う。このダメ出しは「俳優として日頃からの人間観察や洞察の勉強が足りない」という意味もあったのではないか。

俳優としての生き方…、俳優として生きる覚悟…。相当なものが必要だと改めて思う。

2008年12月16日

表現への意欲~大きな表現

随分昔のことだが、小劇場系のお芝居を観ていた頃、帰路、不思議と元気になっている自分に気づいたことがある。発声に関して言えば、何人かの俳優の怒声は頂けないし、時として何を言っているか分からず閉口したことも多かったが、彼らにはほとばしるような「表現したい!」というエネルギーがあった。

 舞台俳優は観客に「想いを届ける」という原点から見れば、私は小劇場の出演者達から「熱い想い」を受け取り、結果、身内に活力がみなぎったのは事実だ。上手い、下手ではなかった。

 舞台俳優が持っているべきものの一つが「表現への意欲」。「人に訴えかける力」だ。

 「俳優の仕事とは、作家の書いた文体に肉体と声を貸すこと」。35年前、芝居の勉強を始めた頃に教わり、セピア色に色褪せたノートに書かれたこの言葉を、今でも時折読み返す。

 私はこう言い換えて俳優を指導している。「台本に書かれてあることを、力の限りを尽くして客席に届けろ」。「力の限りを尽くして」とは、技術はもちろんだが、俳優の魂の喚起も含んでいる。

 俳優とは「行動する人」である。しかし舞台上で登場人物が淡々と行動しているだけで、果たして観客は感動するか? 「芝居が小さい! もっと大きな芝居をしろ!」は、今でもあちこちの稽古場で演出家が俳優を鍛えている言葉だろう。

 では、どうすれば大きな表現ができるのか。

 一つの考え方がある。

「登場人物が何を代表しているのか」を掴むことである。

 ひと昔前の通俗的な例を出す。結婚に関する父と息子の親子喧嘩。「家の中の小さな世界」が舞台だ。だが、結婚が家同士のつながりであり、個人の選択を認めない「社会」の問題と考える父親と、自由意思に基づく「個人」の問題と主張する息子の対立となれば、事は「家の中の小さな問題」とはならない。

 父親は「保守」と「封建」を、息子は「革新」や「自由」をそれぞれ背負い、社会全体、人間全般の話となる。この「対立」構造を作家はストーリーの中で描き、演出家が舞台に露見させる。俳優は対立構造のそれぞれの「代表」として演じるのだ。背負っているものは真に大きい。

 「世界の中心に向かって愛を叫ぶ」という本があったと思うが、私はこのタイトルをもじって「代表者として、世界の中心に向かって訴えろ!」と俳優を指導している。

 このアドバイスで、「大きな表現」に近づく俳優は多い。もはや俳優個人の問題ではなくなり、自分に拘泥している暇がなくなるからだ。俳優は作家の代弁者となり、社会全体、人間全般の問題として演ずる。演技のスケールが大きくなるのだ。

 しかし発声や台詞の基本技術、感情のコントロールが未熟な俳優には効果がないアドバイスである。ただ力が入り、時に怒声となる。

 だからやはり技術は磨かなくてはならない。それと同時に「表現するという意志の強さ」も鍛えるのだ。鍛えて、鍛えて、鍛えたものを観客にお見せするのが俳優の仕事。

 作家は書かずにいられないから書き、俳優は伝えずにはいられないから演ずる。観客は喜びや感動を得たいがため劇場に足を運ぶ。

 演劇は真(まこと)に誇り高い。

2011年02月28日

時代を担う若者たちへ

 「突然、未来が変わった」。メディアに報じられるまでもなく、昨年の東日本大震災により、日本人の多くが自らの生き方や考え方を問うこととなった。

 常に変化し、時に人間に暴威を振るう自然。我々は将来どうなるか分からない世界に生きているという現実。未曾有の大災害を前に、内奥にこだまする「人生無常」。

 何のために芝居をやっているのか? なぜ他の仕事ではなく演劇なのか? 大震災以来、くすぶる根源的な問いがあった。俳優を育て、作品を創ろうと格闘することで過ぎていく毎日…。果たして私のやっていることに意味があるのか…?

 大震災で大きな被害を受けた陸前高田市が、共に教員であった祖父・祖母の最後の赴任地であることを、震災後、初めて知った。私のルーツ…。その昔、生活困難な時代に教員として奮闘、格闘していた祖父母。二人の教え子やその子孫がいる町が津波で流されていく痛ましい映像が、今でも脳裏に焼きついている。祖父母が生きていた時間に思いを馳せると、奇しくも大学の教員になった私に、残りの人生での使命が少しずつ見えてきた。

 「無常」に失望し、あきらめるのではなく、「無常」だからこそ、より積極的に生きてこその人生。次代を担う若者たちにそれを伝えていくことが、私の仕事ではないか…。

 演劇を専門とする指導を天職と心得、プロとして通用する俳優の育成に私はこれからも力を注ぐ。しかし合わせて社会に貢献する人間に育てる努力を怠ってはならない。羽鳥塾や大阪音大の多くの若者たち…。演劇を勉強し、演劇を愛することで人間として成長し、コミュニケーション能力や表現力、思いやりを武器に、たとえ将来どのような職業・仕事についたとしても、人に喜んでもらえる、信頼してもらえる人間になってもらいたい。そう強く願うようになった。

 先日、かつて羽鳥塾で学び、舞台活動していた女優さんが、看護師を目指して勉強を始めた。震災をきっかけに決心し、芝居はもうやらないと言う。「アルバイト先の病院で患者さんにお話や歌を聴かせてあげると、とても喜んでもらえる。芝居をやっていて良かった」と笑顔で語っていた。その顔の何と清々しかったことか。

 私はこれからも演劇の道を歩いていく。指導すること、教えることで、逆に教わっていく。技術だけでなく、俳優に必要な人間の「地固め」を生涯の仕事とし、合わせて人々に感動と喜びをもたらす作品を創っていく。

 人の役にたち、社会の役にたつ。それが私の仕事。 年頭の所感であった。 

2012年03月05日

ローマ狂言一座に学ぶもの

9月の末、国立能楽堂。「演劇雑記~出会いは次の章の複線~」でも紹介した「ローマ狂言一座」来日公演を拝見した。

演目は「恋の骨折り」。早稲田大学教授・関根勝氏がシェイクスピアの「十二夜」とコメディア・デラルテの筋書きを下敷きにし、翻案したものである。日本語をを学んでいるイタリア人学生が日本の伝統芸能・狂言を見事演じきった。

イタリアのコメディア・デラルテと狂言に共通点が多いことに気がついた関根氏は「日本とイタリアの伝統文化を融合させることで、まったく新しい舞台になる」と、昨年「実験ツァー」と評する初めての公演を日本で行っている。数多くのマス・メディアにも取り上げられ、ご覧になった方もいるだろう。今回は「前回よりも完成度を高める」と臨んだ再演である。

正当な狂言から見れば亜流かもしれない、しかし実験劇としては真に真摯であり、好感が持てた。

俳優達はプロではないが、学ぶべき点は実に多い。表現したいという欲望、意欲が強く、内面にあふれんばかりの「役者魂」が渦巻いているのだ。関根氏は「あれでも表現を抑えさせた」とおっしゃる。結果、抽出された演技は凝縮されたパワーを舞台にみなぎらせていた。

私の教室で学ぶ多くの生徒に求められるもの。まさにこの「表現したいという欲望と意欲」に他ならない。羽鳥塾では演技ツールの一つとして台詞の発声から始める。それが「芝居っ気の多い」俳優の卵達にとって、時には足枷になり、彼らの表現意欲を奪う。

しかし「縛り」を克服してくると、俄然演技力が増してくる。演劇雑記でも度々触れている「発声と発想の一致」である。押さえつけられていたパワーが内面で支えられたリアリティーによって嘘のない演技に変化する。そして発声という出口から台詞がほとばしり出るのだ。

誰もが芝居っ気がたっぷりあるわけではない。大人しい生徒も、自分の感受性を信じ、必死になってその発露を見出そうと懸命だ。しかしなかなか「殻」が破れない。「自意識を捨て、想像力を駆使して作り上げた登場人物の造形の中に飛び込むこと」。この壁が高い。レッスンの中で、絶えず自己と対峙しながら獲得していく他はない。

ローレンス・オリビエがアンソニー・ホプキンスにアドバイスしたという言葉のうち5つだけ紹介する。

・リスクを負え

・命をかけろ

・正気を捨てろ

・バカになれ

・演技に集中しろ

2005年10月21日

夜物語1初演を振り返って

昨秋上演した「ファンタジー・ミュージカル 夜物語」。自主制作の第1作目である。上演が実現するまでにはいくつもの高い壁があり、一つひとつ乗り越えなければならなかった。昨年内にすぐにでもこの演劇雑記で振り返りたかったが、興奮のフィルターを通して書くことは避けたく、故に今となる。思い起こすことから順次触れていく。

 2008年初頭。台本と音楽はすでに出来上がっており、稽古はこの年4月から始まった。開幕初日まで16か月余り。慌てて創りたくなかった。初演である。練りに練り、上演するに値する「質の良い作品」に仕上げなければならない。そのためには16カ月が必要だったのである。

 稽古は週に1度。1日3時間。決して長くはやらない。このシステムがうまくいった。週に1度だから、残りの6日間、俳優たちは作品および自分の役についての理解を深め、技術練習を繰り返す。翌週のレッスンに十分な準備ができるのである。

 ところで、「読み合わせ」という稽古初期の言葉がある。だが私は「しゃべり合わせ」と考えている。内容を掴んだり、役を掘り下げるために、俳優個人が台本を目で追って「読む」ことはもちろん大変重要。しかしそれは事前に行うべき準備の一つであり、稽古場に出演者が集まり、声を出すのなら、「読む」のではなく、積極的に「しゃべる」べきだ。

 「力む」癖がある俳優と同様、「読む」癖がなかなか抜けず、「自由さ」を失ってしまう俳優は多い。声を出す筋肉と頭脳が「読む」ことを覚えてしまうのだろう。だが「読み言葉」の延長に「しゃべり言葉」はない。稽古の初期段階であろうと、自らの肉体を使い、対象に向かって積極的に「しゃべりかけて」いってほしい。

 「しゃべる」とは「働きかけ」であり、「行動」である。解釈がトンチンカンでも構わない。生きている人間として存在を示して欲しい。たとえ「しゃべり合わせ」の段階で俳優が間違った方向で表現(行動)していたとしても、稽古が進んでいく中で内面を変えていけば良い。深みが無いなら、深みをつける努力をしていけば良い。登場人物が置かれている状況と目的意識、この二つの把握が結果として俳優を理に叶った行動へと導き、演技を深める。「しゃべり方」などはいくらでも変わるはずだ。

 「しゃべり合わせ」から始まった数ヶ月間、俳優たちに求め続けたことがある。「登場人物が生きる世界を自らのイマジネーションで構築してほしい!」。「夜物語」はファンタジー。リアルで現実的な人間世界のお話ではない。「基本」は大事で崩してほしくないが、自由闊達な「遊び」感覚が必要。まさに一から創り上げる俳優たちとの共同作業が続いた。

2010年03月08日

夜物語2舞台美術 パネルが青?

舞台美術家・仁平祐也君。小劇場を中心に大道具や小道具製作を黙々と一人でこなす「職人」。180センチはある長身で、無精髭をはやし、バス・バリトンの声で訥々と話す。一見いかつい風貌だが、クリっとした瞳が澄んでいて、実は心やさしき巨人。

 2009年2月末。彼が考案した装置のデザイン画が出来上がった。上手と下手の尖塔形パネルがそれぞれ5枚ずつ舞台手前端から中央奥に向かって並べられ、尖塔は内側に向かってカーブを描いている。色は濃い「青」が基調で、パネルの表面は葉脈をモチーフしたデザイン。地球をイメージし、上下(かみしも)の先端を合わせれば円のシルエットが想起される。

 造形は悪くない…。しかし、色が、…青…? これで全シーンを表現する…? 少々不安になった。さりとて私は「ノー!」と言うだけの確固たる自信が持てなかった。「もしかしたら、これ、…、結構いいのかな…?」というかすかな予感があったのかもしれない。

 そうこうするうち、3月中旬。デザイン画通りの舞台装置模型が私のスタジオにデンと置かれた。仁平君はもちろん、照明の飯塚さんや舞台監督の神谷君も顔を揃え、具体的な舞台美術ブランを練る。だが正直なところ、打ち合わせが進んでいたこの段階になっても私はまだ迷っていた。色は本当に「青」でいいのか…?

 飯塚さんも色に関しては「この青でも出来ないことはないが…」と口を濁し、吊り物やバトンの専有についての議論に終始している。照明的にも濃い「青」では成立しにくいのではないか…? 迷いに迷う。

 ええい!全てが理屈で決まるものではない!何かで読んだことのある言葉を思い出す。「物事に迷った時は、人を信じろ」。色具合の良し悪しの判断がつかないのだから、それだったら、創った仁平君を信じろということだ。彼と心中!信じることで、迷いを無理やり打ち消した。

後に分かることだが、仁平君の頭の中では、前進座劇場の寸法、客席からの見え具合、照明の有り様、これら全てが計算され、装置の形状と色の具体的なイメージが出来上がっていた。当時のスタッフで本当に仁平君の舞台装置で行けると判断していたのは、本人を除けば他1人だったろう。もちろん私ではない。

 9月15日、前進座劇場で仕込み開始。大道具が建て込まれた。それ以前にパネルの数は私の判断で上手、下手それぞれ1枚ずつ減らしていた。空間バランスを考えてのことだ。もちろん仁平君も納得の上で了承。パネルの材質もコスト削減のために安価なものにした。安っぽい装置にはしたくなかったので、私はかなり心配して相談したのだが、この時も仁平君は「材質を落としても全く問題ないです」と言い切った。そして実際、全く問題なかった。

 飯塚さんによる照明の調整が始まった。うす暗い客席から舞台を眺めた私は、決して誇張ではなく、全身が震えた。まだ調整中の照明だというのに、仁平君の装置が圧倒的な存在感で客席に迫ってくる。まさしく「夜物語」の世界…!信じて良かった!

 翌16日。俳優が参加しての舞台稽古。パネルの「青」は屋根裏部屋、妖精の国、ウルクーの森、魔法使いの国で、実に様々な表情を見せる。ベテラン・飯塚さんの照明の当て加減によって各シーンは違和感なく表現され、出過ぎて邪魔することもなく、背景となって消えることもない。ストーリーに貢献する頼もしい存在となっていた。「青」は効いていた…。

2010年05月03日

夜物語3再演~目指すは「分かるお芝居」

初演を振り返っているうち、7月も後半。再演まで残り3カ月余りとなった。「再演にあたって」を語ることにする。

 我々の作品づくりのコンセプトは一貫している。「初めての方がご覧になっても分かるお芝居」。「分かる」とは「お話が分かる」ということである。「ストーリーの明快さ」と置き換えてもいい。そのために俳優、スタッフは総力を絞る。

 今年観に行ったあるお芝居でのこと。1幕が終わった時、隣の高齢のご婦人に尋ねられた。「これはいいお芝居なんですよね?」。一瞬、言葉を探しながら、「…、ええ」と答える私。「ちょっと私には分からなくて…」。彼女は恐縮したように続ける。私は「少し難しいお話しですし、表現の約束事もあるので、分かりにくいところがあるかもしれませんね」とフォローした。

 実際の舞台はと言うと、出演者たちは好演しているし、作品の質もかなり高い。だが脚本のテーマが壮大であり、ストーリーの運び方は難しい。演出も芸術的と呼ぶにふさわしい頂(いただき)を目指している。それほどお芝居の愛好家とは言えないであろう高齢のご婦人が楽しむには、少し敷居が高かったのかもしれない。

 それでも私は思う。たとえ難解な作品であろうと、彼(か)のご婦人が「分かりやすく、感動する作品」を創りたいと。

 演劇は生(ナマ)で観客に届けるしかない。その場一回限りという点において映像とは決定的に違う。観客の反応は演じてである俳優にリアルタイムで起こり、演技のやり直しはきかない。お金を払って劇場に足を運ぶ観客が「来て良かった」「観て良かった」と思うには、「分かりやすさ」は必須の入り口だ。

 俳優は、「分かるお芝居」を創るために、以下の3つに留意して日頃からの鍛錬を行ない、舞台に臨まなければならない。

 ・何を言っているか分かる(言葉)

 ・何をしているか分かる(行動)

 ・どんな思いなのか分かる(情感)

 では、「分かるお芝居」を創るために、演出家である私がすることは?

2010年07月29日

夜物語4再演~目指すは「分かるお芝居」

 「演出家とは筋張り職人である」。演劇の師の教えが私の基本にある。脚本があり、俳優が演じ、観客が感動する。三者の橋渡しをするのが演出家の仕事だ。シーンとシーンとの間に橋をかけてストーリーを紡いでいく。舞台上で進行していること、行われていることを観客の前に明らかにしなければならない。その上で「面白さ」と「感動」を追及する。

 感動を創出するために、我々作り手に必要なものは何か?いいものを創りたいという「作品に込めた深さ」である。師は「祈り」と呼んだ。「祈り」を持ち、表現技術を飽くことなく追及する者だけが「観客の感動」という果実を得る。稽古場における汗の量、振り絞る知恵や工夫の数々。知名度でもお金のかけ方でもない。不断の努力と精進。私はどんな仕事であれ、稽古をしない俳優や知恵を絞らないスタッフに好感を持つことができない。

 感動を呼ぶために我々は作品を可能な限り「緻密」に創る。よく「羽鳥は細かいからな」と言われる。しかし「緻密」の積み重ねこそが「違和感なく自然」に見える舞台を創り上げ、台詞や音楽の調べを「ある時は軽快に、ある時は重厚に」響かせるのである。ただし、「木を見て森をみない」の愚を犯してはならない。「森を見て木を見る」。

 例えば音楽。どの箇所に、どのくらいの寸法でメロディーを入れ、どれほどの音量で奏でれば効果的か?例えば照明。ナンバーの変化で、あるいは台詞のきっかけで、登場人物の心情の変化を表すには?俳優の演技は正しいか?立ち位置は?舞台袖への引っ込みは、前がいいか、後ろがいいか? 数え上げればキリのない迷いと選択が延々と続く。それらに優先順位をつけ、「大きな課題」から「小さな課題」へと片づけていく。その集積が公演なのである。

 スタッフの力を借りながらも、最終的には演出家である私がすべてを決定しなければならない。予算、人員、劇場、開幕までの残り時間等々、与えられた条件下、作品を創り上げる上でのベストな選択を迫られる。

 演出家に求められるのは目と耳の確かさ、そして、ストーリーを紡ぐセンスと言えるか。 

 すべては観客のために。

2010年10月01日

「孤児マリア」を終えて~迷いが解けた瞬間

9月2日の日曜日。「孤児マリア」の公演が終わった。
演劇の世界に入り36年になるが、初めての感覚が私を襲う。 
「何も考えられず、頭の中が空っぽ」。色で言えば「白濁食」。
ありきたりの言葉ではあるが「全力を出し切った」
「死力を尽くした」後遺症だった。

実は稽古を始めてから「良い作品になるだろうか」との危惧が絶えずつきまとっていた。
ストーリー展開が今一つ緩く、打開策が掴めない。
「失敗」もあり得ると内心不安が募り、まさにオリジナル・ミュージカルの難しさに直面していた。

恐怖を打ち消したのはナンバーの追加だった。
鈴木喬子さんにお願いして、M5B「希望」に「志を高く~」のメロディーを足してもらう。
聴いた。行けるかもしれない!直感した。
テーマが明確になり、この歌詞につなげるためにストーリーを紡いでいくという「大目的」が定まった瞬間だった。

他にも作品の成功に向けての懸念材料があった。

2幕の「画廊」のシーンをどう表現するか?

スタッフの進言もいくつかあり、何度コンセプトを変えたか分からない。
本物の絵を飾るか、それとも何か別の方法で…?
最終的に「肖像画を俳優が演じる」と決心する。 失敗すれば陳腐この上ない。 

だが劇場という現場に行かなければ判断ができない。
舞台稽古という限られた時間の中で作りあげなければならないのだ。
代替策は用意しない。美術の仁平君は「行ける」と言う。賭けだった。

舞台稽古当日…。窓枠を額縁に見立てる装置は成立していた。
後は俳優を配置して本当に絵画として成り立つか…?
照明の太田君と二人で知恵を絞りに絞る。
試す、違う、試す、違う、を繰り返し、「これもダメですよね」と太田君がつぶやきながら次の明かりにスライドした時、私は「待った!」の声を張り上げた。

「前のものに戻して…、それ、いい…」。 

中央正面セシル役の女優さんの全身が、鮮やかに肖像画として表現された。

今回も「夜物語」と同様、良いものを作ろうと開幕寸前まで必死の努力を重ねた。 
だが「孤児マリア」のほうが格段の達成感がある。
楽曲と振付の基盤の上に衣裳、照明、美術、音響、各スタッフのコラボレーションが行なわれ、結果、仕上がりが予想以上の出来栄えとなったのだ。

各スタッフが私の言動、指示を不快に思ったことは一度や二度ではないだろう。
しかし、結果オーライ。皆さんには心から、心から感謝する次第である。

音響の遠藤君、衣裳の仲村さん、照明の大田君、美術の仁平君、そして舞台監督の伊藤君。
ありがとう! 

2014年05月03日

心から感謝し、次へと向かう

昨年3月。スタジオをカルチャー教室に譲渡し、羽鳥塾の活動を終了した。
俳優を育て、作品を作り上げていくという理念の下、2004年にシアタープロジェクト羽鳥を設立し、俳優の育成・指導にあたった羽鳥塾の11年間に終止符を打ったのである。重い決断だった。

11年…。この間、オリジナルミュージカル作品を4度上演できたのは、私たちを信じ、ついてきてくれた俳優さん達のおかげである。皆との信頼関係の上に築かせて頂いた金字塔…。感謝してもしきれない。

思えば私は幸運であった。生存率が極めて低い演劇の世界で、この年齢(60歳)まで生きてくることが出来た。これは私の力などでは決してない。出会った周りの人々が、私を演劇界で生き延びさせてくれ、成長させてくれた。

劇団時代然り、独立してからも然り。すべて出会った皆さんによって、私は支えられていた。それに応えようとした演劇生活39年だったも言える。嘘偽りなく、出会ったすべての方々に心から感謝!

ご縁があり、5年ほど前より大阪音楽大学で学生の指導に当たらせて頂いている。現在、彼の地でのワークショップや講演の依頼も多く頂くようになった。これも幸運なことである。

今、私には、これまで学んだこと、得たことを、必要としている人のために伝えたいという思いがある。羽鳥塾は解散したが、シアタープロジェクト羽鳥は存続する。残りの人生、演劇界で私ができることは何なのか…? 次の10年はもう始まっている。

2016年01月11日

俳優たちの贈り物

羽鳥塾の活動を終了し、スタジオを閉めてから、早や2年が経ち、
俳優たちはそれぞれの活動を始めている。
羽鳥塾のブログを閉じるにあたり、2015年の最終記事をこちらに移動させてもらった。


★★★★★★★
羽鳥塾の活動を終了し、スタジオを閉めてから早や一か月。
俳優たちはそれぞれの活動を始めている。

そんな最中、羽鳥塾で学んだ生徒達と講師の方々による
「羽鳥を囲む会」が開かれた。

初夏の爽やかなある日、50名を超える俳優達が、
たまプラーザに集まってくれた。

明るい笑顔に包まれて、涙が一滴もこぼれることもなく、
3時間の会はあっと言う間に終了した。

皆さんから頂いた花束と70名以上による寄せ書きの言葉を読みながら、
駆け抜けた11年間の重みをしっかりと受け止めた。
心からお礼を申し上げる。

「ありがとう」。

2015年5月6日(最終記事)
★★★★★★★


今は大阪音楽大学での仕事がメインとなり、ミュージカルコースの学生達と、
俳優活動をしている卒業生たちのために創作を続けている。
良質な作品を生み出す姿勢は何ら変わらない。

2017年03月04日