夜物語1初演を振り返って
昨秋上演した「ファンタジー・ミュージカル 夜物語」。自主制作の第1作目である。上演が実現するまでにはいくつもの高い壁があり、一つひとつ乗り越えなければならなかった。昨年内にすぐにでもこの演劇雑記で振り返りたかったが、興奮のフィルターを通して書くことは避けたく、故に今となる。思い起こすことから順次触れていく。
2008年初頭。台本と音楽はすでに出来上がっており、稽古はこの年4月から始まった。開幕初日まで16か月余り。慌てて創りたくなかった。初演である。練りに練り、上演するに値する「質の良い作品」に仕上げなければならない。そのためには16カ月が必要だったのである。
稽古は週に1度。1日3時間。決して長くはやらない。このシステムがうまくいった。週に1度だから、残りの6日間、俳優たちは作品および自分の役についての理解を深め、技術練習を繰り返す。翌週のレッスンに十分な準備ができるのである。
ところで、「読み合わせ」という稽古初期の言葉がある。だが私は「しゃべり合わせ」と考えている。内容を掴んだり、役を掘り下げるために、俳優個人が台本を目で追って「読む」ことはもちろん大変重要。しかしそれは事前に行うべき準備の一つであり、稽古場に出演者が集まり、声を出すのなら、「読む」のではなく、積極的に「しゃべる」べきだ。
「力む」癖がある俳優と同様、「読む」癖がなかなか抜けず、「自由さ」を失ってしまう俳優は多い。声を出す筋肉と頭脳が「読む」ことを覚えてしまうのだろう。だが「読み言葉」の延長に「しゃべり言葉」はない。稽古の初期段階であろうと、自らの肉体を使い、対象に向かって積極的に「しゃべりかけて」いってほしい。
「しゃべる」とは「働きかけ」であり、「行動」である。解釈がトンチンカンでも構わない。生きている人間として存在を示して欲しい。たとえ「しゃべり合わせ」の段階で俳優が間違った方向で表現(行動)していたとしても、稽古が進んでいく中で内面を変えていけば良い。深みが無いなら、深みをつける努力をしていけば良い。登場人物が置かれている状況と目的意識、この二つの把握が結果として俳優を理に叶った行動へと導き、演技を深める。「しゃべり方」などはいくらでも変わるはずだ。
「しゃべり合わせ」から始まった数ヶ月間、俳優たちに求め続けたことがある。「登場人物が生きる世界を自らのイマジネーションで構築してほしい!」。「夜物語」はファンタジー。リアルで現実的な人間世界のお話ではない。「基本」は大事で崩してほしくないが、自由闊達な「遊び」感覚が必要。まさに一から創り上げる俳優たちとの共同作業が続いた。