YAKUMOを終えて1
昨年11月に横浜で沢木さんとお会いして「八雲」のお話を頂いた。ご自分のライフワークと望む舞台に、まだ未知数の私を脚本と演出で起用するのだから、恐らく不安であったと思う。果たしてその英断にお応えすることができたのかどうか。それはもう少し先にならないと分からないのかもしれない。
しかし「俳優を育てること」と「作品を創ること」を二本柱で立ち上げた「シアタープロジェクト羽鳥」。その初年に「YAKUMO」の演出・脚本として参加させて頂いたのは光栄であり、幸運だった。感謝。
10月24日、「YAKUMO」が終わった。色々とご評価を頂いているが、概ね好評の感ありである。もちろん嬉しい。しかし、岩谷時子先生から褒めて頂いた時は格別だった。
22日(金)のソワレ公演。先生の突然のご来場に私は緊張した。終演後、楽屋にお越し下さり、幸運にも二人だけで30分程お話しさせていただき、身に余る光栄のお言葉を沢山頂戴した。
中でも、「私は『八雲』で育ったの。あなたの描く『八雲』は素晴らしいわ。これはお世辞じゃないのよ。あなたの小泉八雲像に共感するわ。よくここまで書いたわね。2時間の枠の中に八雲の人生をよく盛り込んだわ。久しぶりにいい舞台を観たわ。あなたはこれからもっと作品を創っていくといい。調べものがあったら私に相談しなさい」。このお言葉に私は不覚にも涙を流してしまった。
四季時代に「異国の丘」(浅利慶太氏との共著)を書いた時にもご一緒させて頂いたが、こんなに身近でお話しをして下さったのは初めてだった。
今回の「YAKUMO」。もし成功であったとしたら、スタッフ・ワークがその一因であることは間違いない。
「YAKUMO」という建物を建設するための設計図である脚本は私が書いた。それをスタッフ一人一人が読み込み、膨らませてくれた。音楽、美術、音響、照明、舞台進行。それぞれのセクションに演出家としてのプラン・イメージを伝えた。
今考えればターニング・ポイントがいくつもあった。次回からそのひとつひとつを「八雲創作秘話」として振り返ってみたい。まずは照明スタッフ。チーフは永野明子さん。彼女と私の試行錯誤の作業は初日開場5分前まで行われた。