羽鳥塾の稽古3登場人物の背景

前回、羽鳥塾の演技レッスンが「内面の支え作り」に入ったことを述べた。その最後にあった「~バックグランドを信じる~」について。

登場人物A、B二人の前に納豆がおいてある。二人の台詞はどちらも「納豆だ」。
台本にはA、B二人の出身地など書かれていない。書かれてあるのは彼らが物凄く腹ペコだということだ。演出家からは「Aは喜んでくれ」「Bはがっかりしてくれ」だけの指示。これを遂行するにはどうするか?

「喜ぶ演技」をしたり、「がっかりした芝居」をするのでは、説明的演技となる。「喜ぶ理由」が必要であり、「がっかりする理由」が大事なのである。それらが台本に書かれていない以上、俳優が自分でその理由を作り上げるしかない。台詞の裏をとるのだ。

Aは東京の下町育ち。子供の頃から朝はご飯に味噌汁、納豆の食事。納豆はもちろん大好物である。

Bは関西育ち。納豆は初めて食べた頃から大嫌い。関東の人間が何故こんなものを食べるのか理解できない。


このように、まず自分で登場人物の背景をイマジネーションで作り出し、「信じる」。

すなわちAは「僕は子供の頃から納豆が好き。納豆さえあればご飯を何杯でもお替りした。少ない納豆をめぐって弟と喧嘩し、取り合いしたこともある。あれは確か小学校3年生の時。クラスの先生が新しく赴任してきた若い女性だったので、その頃だと良く覚えている」。

Bは「小学校1年生の時、東京から転校してきたクラスメートの家に遊びに行って、夕ご飯をご馳走になった。その時納豆が出て、その嫌な臭いに身震いしたが、悪いと思い口に入れた。すぐに吐き気がして泣き叫んでしまい、クラスメートのお母さんを困らせてしまった」等々。これを信じればよい。

ただし台詞を言いながら無理にこのイメージを喚起させようと思わなくてもいい。肝心なことは役作りの上で「バックグランドを声に出して語って体に入れ、信じる」こと。そうすれば、やがてその台詞は自らの「イマジネーションによって創造したバックグランド」を反映することとなる。解釈だけではいけない。信じること。体に刻み込むこと。

さて、「納豆だ」の台詞はどうなるか?

アメリカ西海岸にある演劇学校では、この「バックグランド」の創造レッスンに1年かけるそうである。台詞は1年間一切言わせない。そこで育った俳優がアカデミー賞を取った。  

2004年08月16日