羽鳥塾の稽古4演技神経
●演技神経
私は「運動神経」に比して「演技神経」という言葉を使う。「運動神経がいい」とは、乱暴な言い方をすれば、自分の肉体を望むように使える能力が高いということである。
早く走る、高く飛ぶ、来たボールを打つ、相手を投げ倒す。スポーツ選手はこれらの目標のために練習を積み、最適な肉体運動を習慣化して自らの第二の天性としていく。
演技も同じ。「想像力」を働かせ、台本に書かれてある登場人物・背景・生きるべき世界を信じきる。その結果「心」の動きや沸き起こった「感情」を内面の支えとして、己の「意思」を発していく。
演技のメカニズムを大まかにまとめれば、次のようになるか。
①想像力を信じた結果(意識)
②心が動き、感情が沸き起こる(リアクション)
③やがて現実的な対処を起こしたくなり(衝動)
④己の意思を発する(アクション)
俳優はこのプロセスのトレーニングを繰り返すことによって「演技神経」を鍛える。
誰もが経験のあることを例に、「想像力」と「リアクション」について話す。
遠い昔に聴いたことのある音楽が聞こえる。その途端みずみずしく甦ってくるその頃の思い出。これは本人の「意識」が昔を追った結果、自然に感情が沸き起こったのだ。失恋の想い出であったら涙さえ流すだろう。
私の演技法はこの理屈を使う。「想像力」を駆使して「意識」を追う。その結果起こる「リアクション」はみずみずしくあるべきだ。決して「説明的」であってはならない。
「気持が動く」「感情が沸き起こる」とは、想像力への信頼から起こる。能動的なものではない。何でもかんでも積極的な感情で喋ることを演技と勘違いしてしまうことが何と多いことか。それは「根拠のない感情」の貼り付けであり、「説明的演技」に過ぎない。
語られるべき台詞は、充実した内面の支えが反映されるものであり、台詞そのものを根拠のない感情で飾ることは演技の逸脱を招く。感情過多になるだけだ。
●リラックスと集中の必要性
役の創造過程の中で「力み(りきみ)」が一番障害となることを誰もが経験する。肉体や精神に起こる不必要な緊張を克服し、「リラックス」を獲得しなければならない。
車の運転で言えば、絶えず発進できるための「ニュートラル」の状態におくことの重要性。「リラックス」についてはスタニスラフスキー・システムは言うに及ばず、アメリカ流の「メソッド」まで含め、今日様々なレッスン・プログラムがある。
動物の真似をし、その中で身体に必要なリラックスを獲得しようというレッスン。床に仰向けになり、癒しの音楽を聴きながら呼吸を落ち着かせるレッスン等々、種々雑多な「~法」、「~メソッド」がいくらでもある。こういったレッスンを私は否定しないが、取り入れようとは思わない。
この類により獲得しようというリラックスは俳優の不安を鎮める効果はある。しかし俳優が抱える根本問題に斟酌せず行うリラックスのレッスンは、その効果を疑う。俳優が登場人物を演ずるのに獲得しなければいけないリラックスとは、演技によって手に入れなければならない。そのために必要なものが「集中」である。
リラックスを獲得した肉体と精神を使い、他の登場人物の行動・台詞を「どう見て、どう聞くか」。状況に対し「どう対処するか」に集中する。その結果リアクションが起こる状態になるよう、絶えず肉体と精神をコントロールする力を得なければならない。