YAKUMOを終えて3 音楽・作曲

玉麻尚一君。売れっ子の作曲家。実に忙しい。そうした中、いとも簡単に曲を作る。

初めてお会いしたのは6月。私の脚本をその場で読み、ストーリーに流れる「通奏底音」を即座に理解してくれた。音楽用語の「通奏低音」という意味合いではなく、ストーリーにおける登場人物の心情を奏でるもの、端的に言えば、BGと考えても良いのだが、この言葉は辞書には載っていない。私が造語として使ったにすぎない。

曲も出来上がり、稽古が始まった。芝居の部分と合わせた音楽作りが行われる。小泉八雲やハーンの台詞の直前、あるいはその最中、あるいはその後。その他いたる所に私は心情がメロディーとして流れることを求めた。

「ここで何か音を頂戴」。この注文に玉麻君は即座にどのナンバーの、どの部分を持ってくるかを提示してくれる。そのシャープさは見事。

やがて一つの見解の相違が露見する。どこに音楽のクライマックスを持ってくるか。脚本の起承転結でいうところの「転」の部分。初日まで間もない時期だった。

私はM15「小泉八雲」がそれに相当すると考えていたが、彼はM17「揺るぎない決意」で作曲した。
結果、ストーリーの流れと曲想がズレた。私はM15とM17の曲想チェンジを求め、新たに2曲の作詞をし直す覚悟だったが、彼は新・M17を作曲して持ってきた。
東中野にある玉麻君のスタジオで検討を重ねる。もはや曲を入れ替えて新たに作詞をしている時間はなかった。私は主張を変更。元のM17の曲想を変えて、途中部分、3分の1をカットする。彼は即座に応じてくれた。

玉麻君は非常にミュージカルが分かっている人だ。
1人ミュージカルという特殊な形式では登場人物の心情の他に、情景描写など盛り込んだ歌詞がどうしても必要になる。1人の人生を2時間という短い時間で綴るのだから心情だけでは語れないものが出てくるのだ。
玉麻君の曲を出来るだけ生かそうと作詞の変更が続き、彼も詞に合わせメロディーを変えてくれる。「結果オーライ」。ストーリーと歌詞がつながった。

初日の幕が開くと彼は言った。「僕は脚本を読み込むだけですよ。すべては脚本から始まりますから」のさりげない返答。快男児。   

2004年11月19日