生き方が悪かった!?
新聞や本を読み、テレビだったらドラマだけでなくドキュメンタリーも観る。私が日頃生徒に「追体験」として勧めていることだ。だが、こういったことに関心を向けない俳優が時々いる。少々驚きだ。一体何を表現したくて俳優を志したのか…?
彼らは自分の感性に少なからず自信を持ち、自分は何かを表現できる人間だと信じている。だからスポットライトを浴び、お客様の拍手を頂きたいと願う。悪いことではない。だが俳優志望の動機がそれだけだとすれば寂しい。
俳優は人間を表現する。だから俳優に求められるのは人間観察と洞察力であり、それを表現する高い演技力だ。人間というものに迫る真摯な姿勢が役の造形を深めるのだ。
人が一生で経験し体験できることは様々。しかし一個人に限れば、それほど多くの経験や体験ができるわけではない。だから俳優は自分が経験や体験したことのない人生を演ずることにもなる。日頃から知性と感性をストックするための「追体験」が必要な所以である。
それには読書を初め、美術、音楽なども含めた芸術鑑賞はもちろんのこと、自分の周りの人間たちや社会への関心を持つことが必須であろう。そういった追体験によって得られた知性と感性は無意識下に置かれ、ある時演技力というフィルターを通して表現へと至る源となる。
演ずる登場人物が観客の共感を得なければ、劇場には何も起こらない。社会に関心がなく、人間を深く掘り下げてみようともしない俳優が、劇場空間の中に感動を呼び起こせるだろうか。「あー、ああいう人物、いるいる!」、「分かるなあ、その気持…」、「そうなんだよ!そう!」etc,etc…。こういった観客の共感を得た先に「感動」がある。感動が生まれてこその「芝居」である。
一方、客席には人間洞察に長けた人物が多く存在する。人生の実相を知り尽くしている観客がいるのである。彼らを納得させる知性、感性、技術が俳優には必要なのである。
もう30年以上も前になるか。求められる演技ができないベテラン俳優に、演出家がこうダメ出しをした。「結局、お前はこれまでの生き方が悪かったんだ」。
稽古終了後、更衣室で数人の先輩方が、かのダメ出しについて口角沫を飛ばしている。掃除要員としてドアの外で待っていた私に、こんな言葉が聞こえてきた。「ダメ出しでも直せるものと直せないものがある。これまでの生き方が悪かったなんて言われちゃ、どうしようもないよなあ!」。…確かに…。
今思う。このダメ出しは「俳優として日頃からの人間観察や洞察の勉強が足りない」という意味もあったのではないか。
俳優としての生き方…、俳優として生きる覚悟…。相当なものが必要だと改めて思う。